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弁証法|ヘーゲル【君のための哲学#3】

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☆ちょっと長い前書き
将来的に『君のための哲学(仮題)』という本を書く予定です。
数ある哲学の中から「生きるためのヒントになるような要素」だけを思い切って抜き出し、万人にわかるような形で情報をまとめたような内容を想定しています。本シリーズではその本の草稿的な内容を公開します。これによって、継続的な執筆モチベーションが生まれるのと、皆様からの生のご意見をいただけることを期待しています。見切り発車なので、穏やかな目で見守りつつ、何かご意見があればコメントなどでご遠慮なく連絡ください!
*選定する哲学者の時代は順不同です。
*普段の発信よりも意識していろんな部分を端折ります。あらかじめご了承ください。


弁証法


ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル(1770年-1831年)は自然一般に弁証法を見た。弁証法とは「相反する二つの要素が互いに関係し合い、より高い次元で統合される」という考え方だ。
彼は宇宙における原理を絶対精神と呼び、この絶対精神が自己の本質を実現していく過程が歴史なのだと考えた。そして絶対精神は完全なる自由であり、歴史とは世界が絶対精神に近づくことで自由を獲得してきたプロセスなのだという。確かに世界史を見ると、人々は現在に向かうにつれて、少しずつ自由を実現しているように思う。

ヘーゲルは歴史が示す進歩にはある種の共通性があることに着目する。進歩の前提には

①即自(ある対象を固定化する段階)
②対自(規定されたものが部分的な事実だったと理解する段階)
③即自かつ対自([①②]二つの段階を総合し、対象の理解が促進される段階)

認識の弁証法

このような法則が存在する。
例えば歴史では常に「①何らかの制度が安定化する」→「②その制度に矛盾が生じる」→「③新たな制度が誕生する」という三段階の法則が展開されている。彼はこの法則(弁証法)が世界を支配している原理だと考えたのだ。
そしてこの主張は「世界は特定の意味を持って特定の場所を目指している」という解釈を生む。この解釈は当時の世界に対して、私たち全体の大きな物語があることを保証した。そして、この主張はマルクス主義に批判的に引き継がれることになる。


君のための「弁証法」


ヘーゲルは方法としての弁証法を提示したわけではない。議論の際に弁証法的なスキームを使うことを推奨したわけでは決してなく、ありのままの自然や歴史に弁証法的な性質があることを指摘しただけである。
(一般的には「方法としての弁証法を主張した人」という理解がなされているきらいがあるが)
しかし、方法としての弁証法にはとても示唆的な意味があるように思う。

①まずはじめに何らかの主張がある(テーゼ)
②それに対立するような主張がある(アンチテーゼ)
③[①②]の二つが統合され(止揚/アウフヘーベン)新しい主張が生まれる(ジンテーゼ)

ヘーゲルは(世界においての事実として)弁証法は絶対的な原理だと考えた。ということは「対立する意見同士には必ず止揚の可能性がある」と解釈することができないだろうか。
私たちは多種多様な意見を持っていて、ときにそれらはぶつかり合う。一見すると交わるはずのないような真逆の意見も、実は互いに統合し、より強固な主張に進化する可能性を持っているのかもしれない。
重要なのは「対立意見があったときには常に止揚を目指すべき」という努力目標ではなく、対立意見に対して、常に「両方の意見が矛盾なく成立する何かがあるかもしれない」と認識すること自体の価値である。
この認識には、他者の意見を無条件に拒否することを防ぎ、自身の主張に柔軟性を付与し、世界を俯瞰して眺めるための力があるのかもしれない。



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