東北完全制覇(第六夜)JR津軽線

青森泊なのに、津軽線よりも先に野辺地まで出向いて大湊線を潰したのは、ひとえに乗りつぶしの効率を優先させたためですが、そのおかげで、津軽線で上下1本しかない「青森ー三厩間 気動車通し運用」......入出庫(車両入れ替え)のため設定されたもの......に乗ることができました。

津軽線は、鉄道敷設法で「青森県青森より三厩、小泊を経て五所川原に至る鉄道(要は津軽半島を一周する路線)」として計画されたものの一部ですが、開通したのは戦後のこと(1951年に蟹田まで、1958年に三厩まで開通)。一方西側は、津軽鉄道(津軽五所川原ー津軽中里)として1930年に開業しています。

三厩ー津軽中里間が繋がっていたらと思うとそれだけで胸アツ......五能線に負けないぐらいの観光路線として活路を見出せたはず......ですが、おそらく「小泊ー三厩」間は未成線で終わったのではないかと思います。あえて三厩から先のルートを推測するとすれば、三厩駅の向きおよびその手前の線形からして、現在の「ひば峡道(かいどう;県道286号 三厩小泊線)」に沿ったルートで小泊に出ていたのではないでしょうか。が、観光名所である「龍飛崎」を通さないことには路線の価値も上がらない気もしますが、当時の運輸省や国鉄にはそんな観点はなかったでしょうね。

そんな津軽線が一躍脚光を浴びるのは、1988年3月の「青函トンネル開通」と、それに伴う「津軽海峡線(愛称)」の設定です。場末のローカル線が、二階級特進で幹線級の扱いに格上げされ、特急列車や貨物列車が終日通過する大動脈となりました(本作をご覧になって気づかれたと思いますが、新中小国信号場までの間、防音壁が随所に設えられていましたよね)。2016年3月に北海道新幹線が開業し、青函間の通過旅客がそちらへ移行したことで、旅客輸送は元のローカル線に戻りましたが、貨物については今でもその役割は変わっていません。追加された信号場や交換・待避設備が今でも活用されています。

津軽二股駅と奥津軽いまべつ駅は改めて観察に行きたいですね......そのときは、真新しいGV-E400系に乗ることになるのでしょう。

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