深野凌平
はじめまして。 僕は一般人です。 普通エッセイというものは著名人が自分の価値観や日常の体験に基づきそれに対する感想や考えを自由に書き記すものです。 そして、そのエッセイを通してその人の素が垣間見えることが面白いのであって、一般人の僕が書いてもあまり面白いと思ってくれる人はいないでしょう。 いや、ほとんどいないでしょう。 なので、これは僕の自己満足です。 まるで、自分が芸能人かのようにエッセイを書いている痛いやつとでも思っておいて下さい。 そんなエッセイを読んでく
今は午前4時30分 まだ暗い。 こんな夜には いや、朝には 、いや、こんな夜には泣きたくなる。 今僕は23歳 来月には24になる。 一般企業の正社員として日々暮らす毎日 もちろんこれが子どもの頃に目指していた未来ではない。 かといって僕には目指しているものや、なりたいものなどいまだにない。 安定した生活や普通の暮らしを目指していたわけでも無ければ スポットライトを浴びるような毎日を目指していたわけではない。 だけど、今の生活には充足感などない。 いまだになりたい理想
ここに穴を掘る青年がいた。 その青年は来る日も来る日も穴を掘っている。そこを通りがかる人はみな不思議そうにその穴を覗く。 「なんでこんな所にこんな穴が。」 「勝手にこんなところに穴を掘っているのは迷惑で はないか。」 周りの見物人たちはみな口を揃えて可笑しな奴だと笑っているか憤っていた。 しかし、青年はそんな外野の声にはお構いもせず穴を掘り続けていた。 そんな噂を聞きつけた有名な学者がこの街に足を運んでいた。 「ここに大きな穴を掘っている青年がいるとお聞きしたの
「もう、何もかも終わりだ・・・・・・」 街灯がぽつぽつと照らしている住宅街を俯き歩きながらつぶやく。私の世界はもう終わったも同然なのだ。 この不況の中リストラという名の刃が私をつらぬき、唯一の味方と信じていた妻と娘にも愛想を尽かされ出ていかれた。もう生きている意味がない。 住宅の前に泊まっている高級車の窓に映った男はやつれ涙は枯れ果て目が真っ赤に腫れている。タイトルマッチに負けたボクサーのようだ。 行くあてもなく歩いていると、この時間帯には不釣り合いなほどの眩い光を見つ
痛い!何だ?痛い! 目が覚めた僕の両腕には尋常ではないほどの痛みが。痛みに耐えながら近くに置いてあるスマホに手を伸ばすと2:04と表示してある。 何でこんな時間にと思いながらも僕の両腕は痛むことをやめない。どの体勢になろうと痛みが治まることはない。 ふと思い返せば寝る前に両腕に違和感があったことを思い出した。だが別に痛いわけではなかったし、疲れが溜まっているのかなとしか思わなかった。 痛くて寝ようにも寝られず藻掻き苦しみながら布団の上であることを考えていた。 それは救急車問
早速書くことが無くなってきてしまった。 別に誰に頼まれてるわけでもないし、好きでやっているだけなので書くことがないのなら書かなければいいだけの話なのだがそうはいかない理由がある。 僕がエッセイを書いている理由はエッセイ自体が好きで書くのも楽しいというのも勿論あるがもう一つ大事な目的がある。 それ継続するということ。 飽き性で何事にもすぐに飽きてしまい続けることが出来ない僕は継続することの大変さを知っているし欠点だということも分かっている。 このエッセイも不定期だと謳っている
僕は眼鏡に憧れている。 子供の頃から視力だけは良く両目とも1.5という記録を維持している。 目が良すぎて中学生の時視力検査を5秒で終わらせたことがある。 そのため眼鏡というものとは全く縁のない人生を送ってきた。 だが縁がないからこそ憧れるものである。 だからといって伊達眼鏡を掛けれるほど調子に乗れてはいないし、お金も無い。 ずっと眼鏡は僕の憧れとして胸にしまい込んでいた。 しかし時が経ち遂にその時が訪れた。 このエッセイをノートパソコンで書いているとブルーライトに目がやられ
僕はビジネスホテルに泊まることが好きだ。 趣味と言っても良いかもしれない。県外にライブに行く時なんかは必ず泊りで行く。 日帰りで帰れる距離だとしても泊まるようにしている。 ホテルを選ぶときに重要視しているのは目的地までの距離と清潔さだろうか。 後は人とどれだけ関わらないかという点もある。 どういうことかというと最近では事前チェックインやセルフチェックインそして無人ホテルまであるので全く人と関わらないことが出来てしまう。 人見知りなため人と関わらなければ関わらないほどいいこと
今ホテルにいるのだが窓から見えている景色はアパートや一軒家などの住宅街が広がっている。 窓には水滴が。 雨が降ってきたのだろうか。 外からは中学生くらいの男の子が話す声が聞こえる。 近くで工事をしているのかドンドンドンと鈍い音も聞こえる。 電線に止まった鳥が見える。 ここから見えている景色は半径20mも無いであろう街並みだ。 ただそこからでも充分生活を感じられることが出来る。 僕は生活が感じられる街並みが好きだ。 生活とは何だろう。 忙しなく走るサラリーマン。 母たちの井戸
電車とは見知らぬ人と共に旅をする乗り物である。 目的地は同じかもしれないが目的は人それぞれ。 今から仕事に行く人も、遊びに行く人も、結婚の挨拶に行く人もいるかもしれない。 もしかしたら僕の隣に座っている人は人生の分岐点に立たされているかもしれない。 そんな名も知らぬ人と共に旅をする不思議な乗り物だと僕は思っている。 そんなことを言ったら新幹線や飛行機も同じじゃないかと思うかもしれないがそれは違う。 なんか違うのだ。 それくらいしか言えない薄い言葉だけど今のところは許してくださ
「終活」という言葉をご存知だろうか。 終活とは人生の最期を迎えるための準備を行うこと。 身の回りの整理や、財産の相続を円滑に進めるための計画、葬儀や墓などの準備などがある。 僕はまだ22歳なので終活なんてまだ早すぎると思われるだろうが人はいつ死ぬかなんて誰にも分からない。 来年の今頃にはこの世にいない可能性も勿論あるし、半年後、1ヶ月後、1週間後、明日、1時間後、5分後、僕が生きている確約なんてどこにも無い。 だが、そんな本格的に終活をやるつもりもない。 今すぐに出来るとした
朝5時、外に出た。 僕は散歩が好きなのだがあまり朝に散歩に行くことは無い。基本的に夜だ。 理由は明白だ。朝起きないからだ。 だけど今日は起きている。起きたのではなくずっと起きている。特にすることも無いので外に出て散歩をしてみることにした。 まだ人気はほとんど無いが充分に明るい世界はとても新鮮だった。人気のない住宅街を歩き、ほぼ店の開いていない商店街へと続く。 こんな街並みが星野源さんの「くせのうた」という曲ととても合っている。歩きながら聴いていると街並みがどんどんPVに見え
この前あるアーティストの10周年を記念する展覧会に行った。 このアーティストは僕が一番好きであり応援している人達なのでこの展覧会が開催することが発表されたときは迷わず行こうと決めていた。 実際に行ってきたのだが感想としては才能と努力の積み重ねを感じられたものであった。 デビュー当時の写真や映像を見ると別に当時から知っていたわけではないのだが「よく頑張った」と思ってしまい、お前は誰だと言われるような感想しか出てこなくなってしまう。 今では誰もが知り得ると言っても過言ではないほ
僕は常に楽に生きていたいし、楽に生きてきた。 でも世間はそれを許してくれない気がします。 例えば僕に何かなりたいものがあったとしたらそれについての批判ならあっても仕方が無いことだと思います。練習しないくせにプロサッカー選手になりたいだとか努力しないくせに出世したいだとかそんなことをほざいてるうちは批判の的になり得て当然だと思います。 だけど、僕はただ楽に生きていたいだけなのです。 僕が望んで産まれてきたとしたら努力して生きていこうと思ったかもしれません。しかし僕はそうでは無い
時々無性に眠れない夜がある。 そんな時は何をしても眠れない。 僕のいつもの就寝スタイルはイヤホンで曲かラジオを聴きながら寝落ちすることだ。 ここ数年そうして寝ている。 イヤホンしながら寝るのは体に悪いと思ったこともあり何度かイヤホン無しで寝ようと試みたが一向に眠れなかった。なのでまだ眠れてた方が体には良いんじゃないかと思いこの習慣を続けている。 しかしそんな習慣が通用しない夜がある。 いつものようにラジオを聴き寝落ちを期待し布団に体を預けるが気づけば1時間経っていた。 そ
僕は自分が占いを信じていない、と信じたい。 頭ではそんなものは当たる訳ない、全人類を簡単に12に分類するなんて横暴だなとまで思っている。 だけど僕は朝の情報番組の占いコーナーは見ないようにしている。見てしまいそうになったらすぐさま顔を背けリモコンを探しチャンネルを変える。 職場の最寄り駅に大きなモニターがあり、そこに今日の運勢が映っている。 必ずその前を通るときは下を向くようにしてる。 「信じてんじゃねえか!」という声が今にも聞こえてきそうだが信じてはいない。 信じていない