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「学校に行かないとダメ」は正しいのか

「学校に行かないとダメ」は本当に正しいのでしょうか。
私は迷っています、悩んでいます。

多くの方にこのテーマで記事を書いていただきたいです。


□学校教育の是非に関して

昨日、熊三郎さんの記事を読みました。


私の記事に対するコメントは以下。

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夏休み明けには、自死を選択する子供たちが数多くいます。
この世で生きることを諦めるくらいなら、学校には行かなくていいです。これは確信しています。

問題は不登校についてです。


先に学校教育の本質面をサラーッといきます。

□学校教育の本質

まず大学教育については、哲学者のジョン・スチュアート・ミルが言っている通り「大学とは職業教育の場ではない。」を私は採用しています。
学問は学問であることに意味があり、それが仕事で役に立つかどうかなんて関係ありません。

賛否あると思いますが、海外のトップ校はおおよそこの認識です。


次に、義務教育に関して、

すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。

親は、子供に義務教育を受けさせる義務があります。子供からすれば、教育を受ける権利です。

究極的に言えば、権利なので放棄しても構いません。それが昔でいう「登校拒否」や、今でいう「不登校」でしょう。
いじめや校内暴力があれば、当然それを排除する必要があります。
次に難しいのは、現行の教育システムの是非です。


□学校教育の歴史

少し日本の歴史を考えてみます。

有名なのは寺子屋です。寺子屋は、職業訓練の委託として生まれています。
つまり、親が子に家業を継がせるために、子供の教育をお願いした場所が寺子屋です。

次に戦時中の教育です。これは立派な兵士になるための教育です。「前にならえ」や「右向け右」は規律よく動く兵隊を作るための訓練です。
この頃の体育教師は、生徒をボコボコにしていました。なぜなら、そうしないと兵学校での訓練についていけないからです。
ボコボコにすることが「子供のため」だったのです。


つまりは、どちらにせよ「生きていくため」の教育をしていました。
子どもがより良く生きていくためです。

ですが、今の世の中でより良く生きるとはどういうことでしょうか。


□何のための教育なのか

今の時代は、家業もない、戦争もない、どこを目指して子供を育てればいいんでしょうか。

「生きていくため」 じゃあ、生きていくってなんでしょうか。

既存の会社システムも崩壊しつつあります。
毎日、出社してどうこうっていう時代でもありません。

じゃあフリーランスとしての生き方を教えるべきなのか。


多様性の時代だからといって、子どもに全部任せていたら、だんだん堕落していきます。

コロナ渦で子供たちは、ネット・ゲーム漬けの毎日です。

どうすれば子供たちは幸せになるんでしょうか。


私が、引き続き悩み抜きたい課題です。

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