置き去りにされたものの声 三橋美智也の「歌い言葉」
ニューギニア高地を一緒に歩いていたドイツ人が、「文明が、まだあまり入ってきていない土地の人たちの方が、歌はうまいんだよなー」と言った。
イリアン・ジャヤ(ニューギニア島の西半分、インドネシア領)のワメナ郊外を歩いているときだったと思う。それは日暮れ時で、私たちが歩く道のずっと向こうから、電信柱より太く長い木を肩に担いでくる男たちの集団が歩いてきていた。一人が歌い始め、その歌声に次々に加わる声があった。独唱が合唱になり、輪唱になり、ハモり、不協和音を生み出し、掛け合いになり、おどけた声が聞こえ、変幻自在だった。歌詞は即興なのだろう。ときおり笑い声が混じった。
90年代後半。Tシャツやズボンを着ている人も中にはいるが、ニューギニアの伝統衣裳のまま、つまり、男性はペニス・ケースひとつ、女性は腰蓑だけを褐色の肌に身につけているという姿も珍しくなかった。
かのドイツ人の言うことに、思い当たることはいくつもある。バリの田園地帯で、遠くの田んぼで働く人たちが掛け合いで歌っていた。ボルネオのダヤック族のロングハウスに民泊したときは、夜になると家の中で歌合戦が始まった。スマトラでは、タオ湖の湖岸でいつも誰かの歌声を聞いていた。
そんな時代が、この日本にあったかどうかはわからないが、もしあったとしたら、その唄は三橋美智也さんの声で聴きたい。
めっきりお山も色づきまして
ハァ 俺らがも今朝から股引はいて
菜っ葉漬けやら落ち葉炊き
なんて便りもやって来る
いいもんだな故郷は
キツネが啼いたよ里の秋
(作詞 高杉治朗「カールの唄」)
故郷のイメージは作られたものに過ぎないが、それでもそのイメージが喚起する郷愁は、時に寂しい思いに沈み込む私を慰めてくれる。溺れる者は藁をも掴むのだ。
夕焼け空が マッカッカ
とんびがくるりと 輪を描いた
ホーイのホイ
そこから東京が 見えるかい
見えたらここまで 降りて来な
火傷をせぬうち 早くこヨ
ホーイホイ
(作詞 矢野亮「夕焼けトンビ」)
彼の視点は山里にあり、そこから夕日の向こうにある町を、都会を、東京を見ている。親しい誰かを奪った町の方を、じっと見ている。
わらにまみれてヨー 育てた栗毛
今日は買われてヨー 町へ行くアーアー
オーラ オーラ 達者でナ
オーラ オーラ かぜひくな
あゝかぜひくな
離す手綱が ふるえふるえるぜ
俺が泣くときゃヨー お前も泣いて
ともに走ったヨー 丘の道アーアー
(作詞 横井弘 「達者でな」)
人ばかりではない。大切に育てた馬も、町に連れ去られ、売られてしまう。村には、私が一人で残っている。兄が去り、馬が去り、息子が、娘が出て行った、その後に私が一人残っている。出て行く者もつらいだろう。彼らは町で、これまで経験したことのない孤独を感じるに違いない。でも、そのさびしさと残される者のさびしさは、ちょっと違う。
三橋美智也さんの「歌い言葉」は、残され、忘れられたものの声だ。忘れ去られたものが、忘れ去られてもなお、山の向こうで生きるものを気づかう声だ。
私たちは、長いあいだその声に耳を塞いでいた。聴こえないふりをしていた。そして、本当にひとりになった。
そろそろ、耳を傾けていいころだと思う。私たちが捨て去ったものたちの「歌い言葉」を聴くときが来ている。そこに置き去りにした私たちの根っこを、忘れようとしてきた長い感情の連なりを、(実はずっと私たちの底を流れていた思いを)、手に取って、いとおしみたいのだ。
三橋美智也さん。あなたの「歌い言葉」をもう一度しっかり聴かせてください。