サウダージ

 運転しながらラジオを聴いていた。カバー特集らしく、女性の歌う「今宵の月のように」や、おしゃれな男性の歌うサザンの曲が続けて流れていた。なんか違う気がした。
 ずいぶん前に五木寛之のエッセイで読んだことがある。日本で有名なボサノバの歌い手がブラジルでライブを行った。そこに居あわせた彼は、いくぶんかの自信を持って現地の人に感想を聞いた。すると、「確かに歌も演奏も上手い。手本になるほどだ。だがサウダージがない」と答えたという。
 ぼくはそれを読んで、サウダージという言葉を知った。ポルノグラフィティが同名の曲を歌い始めたのは、その少し後だったように覚えている。
 あぁ、なるほど。ぼくは「今宵の月のように」という曲の向こうに、人生のある思いを聴いているんだなぁ、と思った。宮本さんの人としての性質や個性が、ということではなく、彼の言葉とリズムとメロディーと声、エレカシの演奏が共同で作り上げた作品の性質、作品の人格のようなもの。普段の生活で会う多くの人にもあるはずなのに、なかなか出会うことのない心の奥の姿のひとつが、この曲を通して姿を見せているのかもしれない。
 宮本さんの歌声からは感じられて、某女性歌手から(ぼくには)感じられなかったもの、それがサウダージなのだろう。
 ぼくは、自分もいつの間にかそうやって唄を聴いていることに気がついた。歳をとったということだろうか。
 
 もちろん、素敵なカバーもたくさんあるのだけれど。

 こんな、あぶくのような思いつきは、すぐに忘れてしまうから、ここに書きとめておく。


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