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【鉄道自分史】#12「春の思い出」

写真は1977年4月9日(高校3年)の大阪駅です。この時は福知山線のDD54というディーゼル機関車が牽く客車列車を撮影しに行ったのですが、よく見ると環状線103系と特急「はまかぜ」も写っていました。
「はまかぜ」を見送る二人のお母さんが見えます。一人は子どもを負い紐でおんぶし幼稚園ぐらいの子どもと手をつなぎ、もう一人は前に抱えて列車の中の誰かに見せています。想像ですが春休みに孫の顔を見に来た親を見送ってるような感じです。もしくは高度成長期のこの時期にあったかどうかわかりませんが単身赴任する夫を見送ってるのかもしれません。私は、自分も親戚もほとんどが大阪でしたし、仕事柄他府県への転勤ということもなく、ホームで人を見送るということがなかったのでうらやましいような気もします。
それと、ホームの台車に積まれた小荷物。普段もこの量だったのか分かりませんが、学生や新社会人が、新居に必要なものを送っていたのか、地方から親御さんが生活物資を送っていたのでしょうか。また、春休みが終わり実家から一人暮らし先へ持ちきれない荷物を送ったのかもしれません。春ということで普段より多かったのかもしれませんね。
私は大阪育ちで学校も大学まで自宅通学でしたので鉄道で自分の荷物を送る経験はありませんし、個人で郵便小包以外の方法でこのように鉄道で荷物を送れるとは知らなかったのです。
それを知ったのはこの写真の2、3年後、大学時代のある時期の春休み前のことでした。実家へ帰るある女子を大学近くの下宿先から荷物扱いのある天王寺駅まで車で送った時に段ボール箱も積み、その女子が慣れた感じで帰省先の田舎の駅留めで送る手続きを窓口でしていたのです。その子とは同じクラスで何度かドライブをしたりお茶を飲んだりしていました。付き合うというでもなく友達という感じでした。いずれは、付き合うようになりたいと思っていましたが、はっきりするのが怖くてそのままになっていました。
長期休みで実家に電話もできなかったので新学期が始まるのが待ち遠しかったです。そして、私はただの友だちでその子を駅まで送り荷物を運ぶ「アッシー君」だったことが分かったのは、休みが明けて戻ってきてしばらくした時に意を決して思いを伝える電話をした時でした。返事は「ごめんなさい」でした。(涙)
駅の小荷物の写真を見るといつもそのことを思い出します。

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