大森靖子ちゃんの音楽と、私の「死にたいちゃん」

彼女と出会った事実は
私の人生の分岐点になり得てると思う。
中学生という、
まだケツの青いガキだった私だけれども、
心の中で「死にたいちゃん」を飼っていました。
餌は私の生気。
その実態は私の身体の半分を占めていて
凄く厄介な生物であったなと思います。
私はそれが大嫌いだったので、
追い出そうと思って鞭で叩いたり、
友達と聴こえるように悪口を言ってみたりしたけど、
「死にたいちゃん」は出ていってはくれなかった。
家賃も払ってくれないし。はあ。

全然靖子ちゃんの話しないやんこいつ、
って思いましたか??
そろそろします。
ちょうど死にたいちゃんを飼って
1年くらい経った時期、かな、
女の子が「PINK」という曲を
TikTokで歌ってるのを見つけて
本家を知りたくてYouTubeで探しました。
それが靖子ちゃんとの出会い。
それまでの私はお恥ずかしながら
音楽とはそこまで縁もゆかりもなかったのです。
初めて「この人や!私の神様。」
という直感が走って
すぐさま他の動画を見漁り、
サブスクという便利で不甲斐ないものを伝い
彼女の音楽を堪能しました。
そこからは話が早かった、
もう三日三晩ずっと聴き惚けて、
溜まらず口ずさんでいて
私は彼女の虜となりました。
グッとくるSUMMER、
ミッドナイト純異性交遊、
君と映画、
TOKYO BLACK HOLE、
新宿、、、って上げてたら
結局全部になっちゃうわけだけど
ホントに女の子という
面倒臭いリアルな生態を
可愛く汚く歌ってくれる素敵な人であった、、、。
これ全然メジャーじゃないなって思わせる曲が
一個もなくて全部キャッチーで
誰かの人生の映画のワンシーンに当てはまるわけで、
1回聴いたら忘れらんない訳です。
マイナスな感情をアップテンポで
可愛く歌ってくださるから、
軽率に頷き倒すことができてついつい
私も肉声で歌いたくなっちゃうわけです。
かけがえのないマグマで記されていた加地さんが
「悲しいことはメジャーコード、
楽しいことはマイナーコード」
とおっしゃっていたのに
通ずるものを感じました。
(音楽に関しては無知であるけれど。)
そんな訳で彼女は、
私の中の「死にたいちゃん」を
一緒に苦戦しながら飼うのを
手伝ってくれる人なのかも、と思いました。

お話は一変しますが、もしも、
私の死に際に脳内でやるであろう、
俗に言う走馬灯が
私の人生振り返りまSHOWとかいう番組で
あるとするならば、
「最低なやらかしBEST5」という特集を
組まれて絶対バシバシ叩かれるであろう出来事が、
中2の末にあったわけです。
字面だけで見たら意外とある話かもしれないし、
結構大人になったら寝とったとかいう話もありそうなのでね、やっぱり何処かで
今日も起きていることだと思うけども、
私は最低で、自分も彼氏いたのに、
親友の彼氏を好きになっちゃったんです。
中2の私にとって大事件だったわけです、
もう当時は親友の彼氏寝とってSEXすることに該当するレベルに感じて頭抱えちゃって、
今思えば、在り来りすぎて笑えないんですけど。
その時は何度考えても好きなもんは好きで、
怒涛の後悔ののち死んでやろうと思って
コンセントで首を力いっぱい締めながら
眠りに落ちて絶望。みたいな。感じだったんです。
元々少ない生気を全部
「死にたいちゃん」に吸い取られました。ほんと。
それでも好きな気持ちがほんとに、
止められなくて
制御出来なくて、
そんな最低な自分を思って
わんわん騒いで泣いてたら、
ここで靖子ちゃんのVOIDですよ、
心臓攫われたかもしれん、って不安になるくらい
ドキドキが止まんなくて、
最低な気持ちまで肯定してくれる靖子ちゃんに
救われてしまった自分に腹が立った。
苦くて幼い思い出と共にある
彼女の音楽はやっぱり懐かしいし、少し不味い。
今はまた恋愛観における成長というか、
老化が見られて、別の捉え方で聴いている大切な1曲ではありますけどもね。

そんな最低という名の思い出とは対の位置にある
幸せな思い出だってあるんです。
その後に出来た恋人、
未だその人以上に愛しく思えた人はいない、
と断言できるヒトがいるんですけども、
その人に向けて聴いてた曲です。
丁度その時にその人と行ったボーリング場で
Re:Re:loveが流れててバカみたいに
表情筋の緩みを隠していたのが
今思うと甘酸っぱいなと思いますね。

僕より僕を知ってる君のこと
気持ち悪けど
100年前から好きだった
本当だよ

って歌詞があの頃すごく好きで。
私を愛することに躊躇いのない人で、
すごく真っ直ぐに
愛を向けてくれるから
それに驚いて、怖くて、
でもそれが嬉しくて、負けじと愛してる。
なんて思えて。そんな君と
ダラダラ一緒にいたいなあと
ずっと思っていたんですねあの頃の私。
そんでもって銀杏BOYZとも出会い、
超音楽に興味津々な邦ロック女子。
みたいになってました。お恥ずかしい。
そしてその頃には、
私の中の「死にたいちゃん」が弱り果てて、
憔悴していました。
素敵でしょう。
靖子ちゃんは、
「死にたいちゃん」を飼育するのではなく
私が愛を見つけるまで、
私の「心」飼育してくれてて、
本当は「死にたいちゃん」を
ジワジワと安楽死させてあげていたんです。
ゆっくりゆっくり、
薬を投与してくれていたんですね。
有り難や。
PS、「死にたいちゃん」は、
きっと私自身で
孤独と安心の均等が取れなかった故に
生み出してしまった可哀想な子でもあったと、
思うのです。
私という個体と分離させて考えるというのは、
示しがつかないのでは、と感じるほど、
「死にたいちゃん」には私が投影されていました。

大切な音楽ですほんとに。
出会ってくれてありがとうございますって感じなんです。
色んな世界と音楽と残酷、リアルに後退りしながらも向き合い続けることが出来たのは、
あなたの音楽のおかげなのです。
たまに、「死にたいちゃん」の新入り赤ちゃんが
誤って誕生しそうになった時には、
あなたの音楽を聴いて駆除するとしてます。
そういう時に聴ける音楽は、
靖子ちゃんの曲だけだなと、
改めて思ったのですよ。
この命尽きるまで、私の大切でいてください。
いさせてください。

ご精読ありがとうございました。

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