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橋とアイドル④ ~遺伝子リプログラミング~

4.遺伝子リプログラミング

 私は実家が好きだ。だから人気が絶頂の頃も頻繁に田舎に帰っていた。当然ながら人気が落ちた今では、以前より更に気軽に実家に帰ることができる。そんなわけで、私は今、実家でゴロゴロと過ごしていた。
 
 ある日、実家の自分の部屋から窓の外を見ると、例の橋のところでなにかの工事が行われているのが見えた。何があったのだろう? 私は散歩がてらにそれを確かめようと、家を出て、橋の工事をしている人に声をかけた。
 
「この橋、どこか壊れちゃったんですか?」
 
 作業員達は話しかけてきた相手が『鈴木エリ』だとすぐに気づいたようだ。話したいけど緊張して話せない、互いに尻込みする雰囲気が作業員たちから伝わってくる。だがやがて、年齢が一番若そうな男性作業員が口火を切り、私の質問に答えてくれた。
 
「大きく破損したわけじゃないのでご安心ください。細かいひび割れや塗装の劣化を補修しているだけです。でも、橋を長く使うには定期的に補修をすることが大切なんです。そうしておくことで橋の寿命はすごく延びます。こまめに点検をして、しっかりとメンテナンスをする。そうすれば古い橋は、新品になったかのように若返ります。最近は日本中で橋梁の老朽化が進んでいますけど、丁寧に取り扱えば、新しい橋に架け替えなくてもまだまだ活躍してくれるんです」
 
 へぇ、そうなんだ。面白い。壊れてから直すわけじゃなくて、予防的にメンテナンスをすることで橋は若返り続けるんだ。なんか意外。
 
「壊れたわけじゃないんですね、良かった……。私、この橋のことが子供の頃から大好きなんです。是非、丁寧に補修してあげてくださいね。よろしくお願いします」
 
 私はそう言って頭を下げた。
 作業員たちは私に向け、口々に「お任せください!」というようなことを言った。この人たちに任せておけばしっかりと補修をしてくれそうだ。頼もしい。私はしばらく彼らの作業を見学していたけれど、作業の邪魔になってはいけないと思い直してその場を退散することにした。
 だが、家に戻っても先ほど作業員さんが言ったことが頭から離れなかった。ぐるぐると言葉が頭の中を巡る。私はもう一度、窓から工事現場を覗き見て、そして一人、呟いた。
 
「橋は時間の経過とともに劣化する。だけど適切な補修工事をすれば昔と同様の性能を取り戻せる。じゃあ人間はどうなんだろう?」
 
 そう口にしながら、私はマネージャーさんが最近持ってきた最新のアンチエイジング治療に関するパンフレットのことを思い出した。
 ウチの事務所は大手の美容外科と提携している。所属タレントの中にはプチ整形程度ならば抵抗感なくする人も多いが、私は今までに一度も整形を行ったことはない。だが最近は、シワ取りレベルの施術くらいは私もやんなきゃなと思い始めていたこともあり、以前はゴミ箱に直行させていたそれ系のパンフレットにも目を通すようにしていた。そんな中で手にしたのが『最新のアンチエイジング治療』を謳うそのパンフレットだった。そのパンフレットの表紙には『遺伝子リプログラミングにより完全な若返りがついに実現』と大きな文字で書かれていた。
 完全な若返り? そう訝りながらパンフレットをめくると、そこには『遺伝子リプログラミング』のメカニズムがいくつかのイラストと共に説明されていた。難しいことはわからなかったが、遺伝子操作により細胞特性を変化させて老化現象を逆転させる技術であることは理解できた。老化を止めるのではなく、細胞レベルで完全に若返る技術ということだ。
 パンフレットの最後のページはこんな文言で締めくくられていた。
「人類が長らく夢みていた『若返り』が誰にでも手に入るようになりました。あなたも是非!」
 
 私はマネージャーさんに訊いた。
「このパンフレットに書いてあることってホントかな? 仮にホントだとして治療費はどのぐらいするんだろ?」
「技術的には本当に実現できるみたいですね。現にアメリカでは大富豪たちの間で相当流行ってるらしいです。ネット上でもたくさんの事例を見つけられます。でも、問題はやはり費用で、美容外科の営業さんの話によれば、治療には数千万かかるそうです。数千万って言われても二千万と九千万じゃかなり差があるよな、と思ってツッコミを入れたんですけど、はぐらかされちゃいました。たぶん、金額はハッキリ決まってないんだと思います。ちなみに日本じゃ治療の実績はほぼゼロらしいです」

 その話を聞いた時に私が思ったのは「遺伝子操作で若返るなんて不気味だし、そもそも高額過ぎて私には無縁だ」ということだ。だが橋の補修工事の話を聞いた今、私は『遺伝子プログラミング治療』に少し違う印象を持ち始めていた。これはある意味では、人間にとっての橋梁補修工事のようなものだ。メンテナンスによって肉体をリフレッシュし、過去の状態を取り戻す。そう考えればグロテスクだとは思わないし、数千万円の治療費も妥当なのかもしれない。
 
 
 数日後に補修工事は終わった。早速、私は橋の上を散歩した。高欄の錆は落とされて再塗装されていた。ひび割れが埋められたことで、桁や橋脚は滑らかなコンクリート面を取り戻していた。綺麗だ。橋としての性能も回復したのだろう。
 補修工事によりリフレッシュした橋を見て、私もリフレッシュして再度アイドルを頑張りたい、そう思った。
 早速、私は『遺伝子リプログラミング治療』を受けたい旨を事務所に相談した。すると、事務所が費用の半分を負担してもいいという。提携する美容外科からも実績を作りたいのでなるべく費用を抑えるとの申し出があり、それが高いのか安いのかわからないものの、三千万円という具体的な治療費が提示された。もちろん保険は効かない。
 私は今までに芸能活動で貯めたお金を使って『遺伝子リプログラミング』の治療を受けることにした。私はこの治療方法のことを、単に外見を若く見せるだけのものだと認識していたが、担当医師が説明するところによればそうではないらしい。『遺伝子リプログラミング』は、外見だけでなく細胞レベルでの若返りをもたらす。だから、老化に伴う病気や身体の機能低下からも解放されるとのことだった。

「特定の遺伝子を活性化させる転写因子を細胞に導入することで細胞の機能や特性を若い状態に戻すのです。これによって成体細胞は若い細胞へ戻され、一切の老化のサインを消し去ることができます」

 医師は、自慢げに説明してくれたが、私には難しくてよくわからなかった。
 『遺伝子リプログラミング治療』は無事に成功し、私はデビューした頃と同様の見た目に若返った。
 
 人々は国民的アイドルの再生を歓迎した。
 私はアイドルとしての人気を取り戻し、アイドルの仕事を続けることが出来た。
 やがて、以前と同等か、おそらくはそれ以上の人気を得るようになった。

(続く)

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