記憶力を上げるために意識してること
俺は昔から勉強が苦手だ。
何ならテスト勉強なんて人生で本気でやったのは、1回くらい。
それ以外は前日に教科書を読むだけ。
それで当日テストを迎えるわけだから結果はまぁ悲惨なものだった。
親に勉強しなさいと言われて、嫌々机に向かって勉強をしたところで内容なんてこれっぽっちも頭に入ってこない。
だけど、自分が好きで聴いていた曲の歌詞は、覚える気がなくても自然と覚えてしまうものだ。
それは、好きだから何回も聞いているうちに自然と覚えていってしまっているからだと思うけど、同じ回数聞いたり見たりしているはずなのに、覚えている歌と覚えられない歌があるように感じる。
同じように自分の過去を振り返ってみたときに、昔の出来事なのに鮮明に覚えていることと、つい最近の出来事のはずなのに全く思い出せない出来事があった。
この違いは一体何なのか?
どうやら人間の記憶に、時間軸はあまり関係ないように思えてくる。
そりゃあ多少は関係あるのかもしれなけれど、すごく昔のことを鮮明に覚えていることだってあるのです。
じゃあ昔の記憶なのに鮮明に覚えていることは一体どういった場合の出来事だったのかを考えてみると、
それは自分の感情が動いた出来事だったということ。
何かに対して感動したり、心を揺さぶられたりした時に人間というのは記憶をするのではないだろうか?
それは何も、いい出来事ばかりではないかもしれない。
むしろ、いい思い出よりも嫌な思い出の方が記憶に残っているような気がする。
例えば親が亡くなったり、彼女と別れたり、友達と縁が切れるほどの喧嘩をしたり、そういった出来事というのは、確実に自分の中で記憶に残り続けるはずだ。
それはきっとその時に自分の感情が動いたからだろう。
一昨日の夜ご飯は思い出せないけれど、先月友人と食べた夜ご飯ははっきりと覚えているのは、夜ご飯を食べた時に自分の感情が動いたか動いてないかの差だと思う。
自分の感情が動くような出来事があったときに人は、その瞬間を記憶として持ち続けるのだろう。
つまりこれ感受性が豊かな人ほど、記憶力がいいということになる。
普通に生活していく中で、いろいろなことに感動したり、悩んだり、怒ったり、楽しんだりできる人というのはそれだけ記憶するきっかけがある。
記憶力を上げたいのなら、まずは何事も自分事として捉えるようにするようにすればいい。
何かニュースを見て「俺には関係ないや」として見るのか、「もしこれが俺だったら」という視点で見るのとでは、ニュースの内容の頭への入っていき方が違ってくる。
小説を読むにしても、自分がその物語の主人公になったつもりで読んでみると、小説の内容を記憶するようになる。
勉強も同じことが言えるのかもしれない。
記憶力を高めるには感受性を豊かにすること、感受性を豊かにするためには物事を自分事として捉えていることが大事なのだ。
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