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『ラブライブ!シリーズ9周年発表会』を受けて思うこと

 今日の『ラブライブ!シリーズ9周年発表会』で今後のラブライブの色々な展開が明らかになりました。素直に嬉しいと思ったこともありますが、ちょっと受け止めるのに時間がかかる発表もあり、今現在の思うところを記録したいと筆を執った次第です。

 一応、注意点ですが、あくまで私はμ'sのファンとして書くつもりです。しかしながら、図らずもシリーズとしてのラブライブそのものに対して批判的なことを言ってしまう可能性があります。尖った表現も使ってしまうかもしれません。どうかご容赦くださいとは言いませんが、以下読み進める以上はある程度覚悟を持って臨んでいただきたいと思います。








 正直、始まるまでは「発表会」といっても、スクスタの配信延期の報告か(どこかの無神経野郎のせいで早バレした)ラブライブ総合マガジン(仮)の情報、まあスクフェス感謝祭を今年も開催する旨の告知が関の山だろうとタカを括っておりました。

 いざ発表会が始まってみると、先の東京ゲームショーを彷彿とさせるオフィシャルな雰囲気の中、司会者、えみつん、伊波さん、大西さんと見知った演者の方の登壇、挨拶もそこそこに本題の新情報の「発表」が始まりました。

 件のラブライブ総合マガジン創刊、SIDコミックの連載開始、スクフェス感謝祭、スクフェス全国大会開催の告知、スクスタ配信時期の決定、オールナイトニッポンでのラジオ放送開始、ゲマでのポップストア、コラボショップ等の告知…と、想定内の新情報と予想を上回る本当の新情報があり、ちょっとワクワクしました。

 その後は、サンシャインの新情報ということで、内心「もしかしてμ's関連の情報は出し尽くしたのかな?」としばらくの間、虚無と化しながら画面を注視しておりました。

「アクアはまだ4thシングルなのか…」

「スクフェスコラボシングル…」

「ツアーまたやるんだ…」(ふ~ん)

 Aqoursの活動に関しては関心がありませんので、どんな情報が発表されようと心穏やかなものです。

「セイントなんとかもラブライブ!シリーズの一員という扱いにしたってことなのかな?」

 Saint Snowの活動についても同様、(待遇の良さにやや違和感を感じつつも)まあ別にどうでもいいので心穏やかなものです。

「虹ちゃん追う余力はないからな~」

「武蔵森………どこ?」

「ヘッドライナー…」 

 虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会の活動も頑張ってはほしいですが、現時点では特に応援している訳ではありませんので嬉しいも悲しいもありません。心穏やかなものです。


 ところが、μ'sについても新情報がある!

TVアニメ&劇場版のBD BOX発売!!

今度こそ本当のComplete BEST CD-BOX!!!

そしてグラブルファンタジーとのコラボの追加情報…と、ここまでで十分過ぎる発表会でした。確かにキサラ氏が約束してくれたとはいえ、μ's楽曲のベスト盤がこのタイミングで出るとは思っていませんでしたし、アニメのBD BOXは10年後とかになると思っていたので、素直に喜べました。グラブルも新規絵が紹介され、より楽しみになりました。本当に素敵なお知らせです。
 私個人としては、ここで発表が終わっても全く問題ありませんでした。

しかし、

「ラブライブ!フェスってなに!?!?!?」

「μ's!?!?!?」

!?


??

詳細は後日…


μ's…


石鹸じゃないよね?


えみつん「どんなフェスになるかはこれから明らかになっていくと思いますが…」

ほんまそれ…


「μ'sがμ'sとして私達の前に現れる…これはどう反応すればいいんだ?」

 ということで、嬉しいような戸惑ってしまうような本当に複雑な心境で「発表」を受け止めました。そして、一晩考えて整理した現時点での私なりの個人的な結論を出しました。(※あくまでも私個人の意見を個人的な備忘録として残そうというのが主眼です。他の人にこの考えを押し付けようとか共感を集めたいとか私と異なった考え方を論駁しようといった意図は当然ありません。そしてあくまで「μ'sのファン」という立場での意見に過ぎないということにも留意していただければいいなと思います。)


 端的に論点をまとめると、以下の3点について順に述べます。

①作品としての『ラブライブ! 』の中で整合性が取れているのか
②キャストの意思が尊重されているのか
③個人的な心情

 第一に、作品としての整合性についてです。(私はこの整合性についてめちゃくちゃこだわるタイプのオタクなので、個人的に最重要の要素だと思っています。)そもそもマルチメディア展開を広げる『ラブライブ!』という作品において、整合性という言葉には二つの意味があるかと思います。
 一つは「キャラクターや作品の世界観が同一メディア内において既出の設定や過去の言動との矛盾が生じない」ということ。言うなれば一貫性や自己同一性のようなものです。例えば、アニメの世界においては、音ノ木坂学園の生徒会長は絵里から穂乃果に変化しますが、スクフェス内のストーリーでは、生徒会長はあくまで絵里であって穂乃果ではありません。これは一見する(両メディアを同じ「ラブライブ!」と一括りにしてしまう)と矛盾とも取れますが、アニメ全話を通じて作中にきちんとした説明があり整合性が取れています。またスクフェス内でも一貫して絵里ちゃんは生徒会長であって矛盾はありません。
 もう一つは「文脈」の整合性です。つまり2次元/3次元を問わず、キャラクター(キャスト)やその作品(ライブ)の世界観が多元的メディアの中でどういう位置づけにあるのかを当該作品(ライブ)の中で説明している(または容易に推察できる)ということです。わかりにくいかもしれないので例を挙げると、3rd Anniversary Love Live! で「これからのSomeday」風の衣装が絵里と希の分も用意されたということがありました。(これ現場行きたかったなァ…)

 これはアニメの時空ではありえないことですが、きちんとMC内で導入があった上で、いわばファンサービスとして生徒会の二人の分の衣装も作ってくれた訳であり、かつ元々6人の名義でリリースされている「これからのSomeday」では使わなかった(実際に登場したのは「もぎゅ」以降)というのが、多方面に対する配慮が感じられてとても好感が持てました。(絵里推しと希推しのファンだけ「これサム」の衣装のμ'sが見れないのはかわいそう。だからといってこの曲を絵里と希が歌うのはおかしいというバランス感覚が絶妙だなと思います。)

 特に3rdライブはアニメが放送されてからの初の(声優グループの方の)μ'sのライブということで「μ'sのライブってどういう位置づけなの?」という疑問に対する解が明確に示された重要なライブだったのではないでしょうか。つまり、「ファンのみんなは穂乃果たち2次元のμ'sのライブを見に行くことはできないけれど、声優グループのμ'sがこちらの世界でライブを行えば、歌声だけは本物のμ'sのライブを届けることができる」そして「ファンは(声優の方の)μ'sのライブに来ることで擬似的に本物のμ'sに会うことができる」という壮大なフィクション。(否、キャストの方々も確かにμ'sであって、我々ファンは、歌声を通じて二つの次元に存在するμ'sのライブを体験する。一瞬でもその次元の狭間に漂う経験をした者なら、二度と忘れることはできないだろう。これが「ラブライブ!」の本当にスゴいところである。)この立ち位置を明確にしたという意味でも、3rdライブは本当に伝説のライブだと思います。

 μ'sのライブがこういう文脈を持って行われるということ、これを踏まえて今回の「ラブライブ!フェス」にμ'sが何らかの形で出演することはμ'sの物語と整合性が取れるのかを検討したいのです。

 では、その「μ'sの物語」がどうなっているのか?ということについて確認します。これも「どのメディアのμ'sの?」という問題がありますが、とりあえず、TVアニメ、劇場版、声優グループの活動の三点に絞って考えていきたいと思います。

(1)TVアニメ2期
 3月に開催される第2回ラブライブ!に出場し1番になることを決意。予備予選を通過し、東京予選で前回大会の覇者A-RISEを破り本大会への切符を手にする。
 ラブライブ!本大会に臨む前に全員で話し合い、「大会が終わったらμ'sはおしまいにする」ことを決め、今後μ'sは新メンバーが加入することも誰かが脱退することもないこと、3年生の卒業後も1、2年生はスクールアイドルを続けるがそれは「μ's」ではないことなどが示された。
 そして最終話でμ'sがラブライブ!で優勝を収めたことが明かされ、音ノ木坂学院の卒業式が執り行われ、絵里、希、にこが卒業した…かと思われたが、花陽のケータイが鳴り出して…?

(2)劇場版
 花陽のケータイに届いたのは、第3回ラブライブ!(ドームでのライブ)の開催が検討されている旨の情報だった。理事長から直々に第3回大会開催のために海外でライブを行い、その模様を中継することでプロモーションをしてほしいとの相談を受ける。3年生も「今月中はまだスクールアイドル」ということで、9人で海を渡ることになった。
 海外ライブが無事に終わり、帰国すると、アキバの街がμ'sとラブライブ!一色になっており、中継を見たファンが9人を取り囲むなど状況が一変していた。「大会が終わったらμ'sはおしまいにする」という決意を知らない周囲の人たちやファンはμ'sの次のライブを期待する。穂乃果たちは、μ'sをどうするべきか話し合う。その中で「活動を終わりにすることをみんなに伝えるためのライブをする」と決める。
 そこへ理事長から「ドーム大会開催のためにラブライブ!に力を貸してほしい」との相談を受ける。穂乃果たちが活動をやめてしまうとドーム大会の可能性がついえてしまうことを知り、穂乃果たちは再びμ'sをどうするべきかを話し合うが、答えは出ない。
 それぞれが自分と向き合いながら導き出した答えは、「限られた時間の中で精一杯輝こうとするスクールアイドルとしてμ'sの活動はおしまいにしよう」というものだった。最後のライブの練習のために屋上に集まったメンバーに対し、穂乃果が「スクールアイドルの魅力を伝えるためのライブをしよう」と提案をする。曰く「そうすれば、自分たちがいなくなってもラブライブ!はずっと続いていく」。A-RISEの協力もあって、ライブは大成功に終わる。
 3年後、雪穂と亜里沙が音ノ木坂学院アイドル研究部の部室で新入生に対して部活紹介を行う中で毎年ドーム大会が開催されていること、μ'sの最後のライブがドームで行われたことが示される。

(3)μ'sキャストの活動
 2016年3月2日ファイナルシングル「MOMENT RING」が発売。また2016年3月31日、4月1日の東京ドームでのファイナルライブ(ラブライブ! μ's Final LoveLive!〜μ'sic Forever♪♪♪♪♪♪♪♪♪〜)が開催。このファイナルライブがμ'sとしての最後のワンマンライブであるとされ、その事実は2019年5月現在まで覆っていない。(詳しい出典についてはWikipediaとかで確認していただきたい)
 ファイナルライブという名称に対して「μ's解散」という言われ方が度々なされたが、複数名のキャストが「解散ではない。」と明言してくれており、これはμ'sの「集大成」のライブであって「解散ライブではない」と位置づけられてい。同様に公式から出されたあらゆる発表、告知、声明の中でも「解散」という文言は意識的に避けられている。

 ファイナルライブで新田恵海さんが「μ'sは限られた時間の中で精一杯輝こうとするアイドルです。私たちも彼女たちの後を追ってここまで歩いてきました。」と穂乃果たちμ'sがスクールアイドル「μ's」として活動を終える決断をしたのだから、私たちも穂乃果たちの意思を尊重なければならないという旨の発言をしており(ファイナルの幕間のインタビューやMCで語られたはずだと思いますが、なにせ3年以上も映像を見ることができていないため、間違っていたら申し訳ありません。)、声優グループの方のμ'sも一旦は活動が「休止」を迎えたというのは間違いありません。したがって、声優グループμ'sは、「解散はしていないが、活動は休止している」状態というのが最も適切な表現だと思います。

 しかしながら、我々には一つの「約束」があって、特にこれは私個人の主観的な受け止め方に過ぎないので、同意を得られないかもしれませんが、この「約束」のために今回の「ラブライブ!フェス」にμ'sが出演することに対して、どう反応するべきかをこれだけ考えているのです。つまり、ファイナルライブ全体を通じてμ'sが我々ファンに届けてくれたメッセージ、ひいては2015年12月5日にファイナルシングルとファイナルライブが開催されることが明らかにされて以来ずっと、ラブライブ!とμ'sが私たちに時間をかけて残していってくれたものとでもいうべき贈り物がこの「約束」なのです。

 これがファイナルライブの最後のMCでキャストの方々が語られた言葉の中に集約されています。

南條愛乃
「最初は紙の上に描かれたイラストだったμ'sが、みなさんに6年間一生懸命応援して、大好きでいてくれたおかげで、私たちが出会った9人の女の子たちは、同じ時間を生きる女の子として命をもらえたと思っています。今日が過ぎても絶対あの9人はどこかで楽しく過ごしている。そんな気がしています。」

徳井青空
「いつかまたμ'sの歌を聴きにきてくれますか?」

新田恵海
「これからは少し形を変えていくかもしれないけれど、みんながμ'sのことを、ラブライブ!のことをずっとずっと大好きでいてくれたら、しばらくはこういう形では会えなくなるかもしれないけれど、私たちはずっとμ'sです。私たちは絶対みんなに会いたいと思っていて、それは18人同じ気持ちだと思います。」

 そしてこの後、ファイナルシングル「MOMENT RING」でこのような演出がなされました。


 HANAYO KOIZUMI ♪ YURIKA KUBO

  NICO YAZAWA ♪ SORA TOKUI

 RIN HOSIZORA ♪ RIHO IIDA

   NOZOMI TOJO ♪ AINA KUSUDA

 MAKI NISHIKINO ♪ Pile    

      ELI AYASE ♪ YOSHINO NANJO

    UMI SONODA ♪ SUZUKO MIMORI

 KOTORI MINAMI ♪ AYA UCHIDA

HONOKA KOSAKA ♪ EMI NITTA


キャラクターの名前と同列に並べられたキャストの名前。「高坂穂乃果(cv.新田恵海)」とか「絢瀬絵里役の南條愛乃」のような紹介の仕方ではなく、キャラクターをキャストと同等の人格を持った存在として扱おうという意思。『ラブライブ!』という作品がこれまで掲げてきた「2.5次元」や「キャストとキャラクターのシンクロ」という謳い文句を遥か後方に置き去りにして、それらを高度に上回る深遠な文脈の上に成り立つμ'sを応援してきたファンだけに伝わるμ'sからの最高のメッセージ。みんなあの日「18人のμ'sに会った」、「ステージの上にことりちゃんがいた」と口々に話した。私も確かにμ'sが見えた。「MOMENT RING」を見たすべてのファンの心に鮮烈に刻まれた奇跡の光景である。


物語の中のμ'sは「学年」が存在するので、いつかは卒業を迎えてしまう避けられない運命があります。だからこそ穂乃果たちは3年生が卒業するタイミングで「μ'sの活動をおしまい」にする選択を取らざるを得ませんでした(アニメ2期11話)。しかしながらキャストの方のμ'sが、ファイナルライブを行うことによって、この穂乃果たちの選択と矛盾しないようにしつつも「μ's」の意味を拡げることに成功したのです。それが「MOMENT RING」です。
キャラクターをキャストと同列の人格を持った存在として扱うことで、穂乃果たちは「穂乃果たちの後を追ってきたえみつんたちキャスト」とは別個の存在になることができたのです。なので声優グループとしてのμ'sがラブライブ!のアニメや劇場版のストーリーに倣って活動を終える(つまり、最後の曲であるところの「僕たちはひとつの光」を歌った)としても、穂乃果たちは、元来キャラクターですから、永遠に音ノ木坂学院の生徒に違いないのです。キャストの活動は(こちらの世界が不可逆的な時間の流れに支配されている以上)二度ファイナルライブを行うことはできませんが、穂乃果たちキャラクターは、「出会った時が青春の始まり」というえみつんの言葉の通り、私たちがアニメ第1話を見ればいつでも、廃校の危機に瀕した学校を救うためにアイドル活動を始めることができるのです。
またキャラクターとキャストが別個の存在であるならば、キャストの方々は誰もμ'sを「卒業」したりμ'sが「解散」したわけではないので、いつまでもμ'sであり続けることができるのです。本当にどこまで決められていたことなのかはわかりませんが、もともと架空のキャラクターだった少女たちを「穂乃果たち2次元のμ'sにはすでに魂が宿っており、固有の人格がある」ものとして扱うことで、活動を休止するしかなかった「μ's」を「本来的に『永遠』の存在であるキャラクター」と「進級や卒業というしがらみのない生身の声優」に再び分かつことを可能にし、結果μ'sが「おしまい」にならない未来にたどり着くことに成功したのです。こんな見事な昇華が他にあるでしょうか。

彼女たちを応援する多くのファンと誰よりも彼女たちを愛するキャストたちから吹き込まれた魂によって、キャラクターが生命を持ち、作品が描いた「終わり」の先に到達する物語。
これが「μ'sic Forever♪♪♪♪♪♪♪♪♪」という言葉の意味だと私は思っています。μ'sが終わりを迎えていない以上、次のライブがないとは言い切れません。だからこそ、そらまるが「またμ'sの歌を聴きにきてくれますか?」と訊いてくれたのであり、えみつんが「私たちはみんなとまた会いたいと思っています」と言ってくれたわけです。これが私たちとμ'sの「約束」です。

 というような基本的理解に基づいて、μ'sがフェスに参加することが作品としての『ラブライブ!』と整合性が取れているのかについてを考えますと、私の見解では、「問題ない」という結論になりました。

 まず今回のフェスは、3次元のキャストさんによるライブ(ないしイベント)になると思われますが、あくまで「声優グループのフェスにμ'sが参戦する」ということならば、作品としての整合性は取れています。ファイナル以降もμ'sはμ'sに違いなく、現にμ's声優のソロ現場等においては、既にラブライブ!楽曲がかなりの数歌われているという事実があります。まだ活動が続けられているグループのメンバーが自分のグループ曲を歌っているだけですから何ら不思議ではありません。
 また、たとえ開幕や幕間に短編のアニメーションやボイスドラマが挿入された(例えば制服を着た穂乃果がAqoursや虹ヶ咲の生徒と話した)としても、それは多元的なメディア展開をするラブライブ!の性質上、3世代が同学年に並存する「スクスタ時空」のことであると推察できるので、劇場版で最後の歌を歌ったμ'sの物語には何らの影響も及ぼしません。

用語解説:スクスタ(すくすた)【名詞】
 スクスタとは、正式名称「ラブライブ! School Idol Festival ALL STARS」のことで、2019年配信予定のアプリのこと。現時点でわかっていることは、
①リズムアクションRPGである。
②μ's、Aqours、虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会の27人のスクールアイドルが登場する。
③μ's、Aqours、虹ヶ咲が同世代として登場し、学校の垣根を超えて交流するストーリーが展開される。
④育成要素とリズムアクション要素とそれ以外のライブシステムがある。
⑤スクフェスとは別個のアプリであり、「スクフェスID」を使うことで連携することができる。




 では、作品としての整合性が取れているとしてして、「キャストの意思が尊重されているのか」を検討したいと思います。いわゆる「原理」の方が危惧する通り、私も今回のフェスにμ'sが参加するということがどういう経緯で決定されたのか気にかかりました。(なお、私が現在のラブライブ運営(いわゆる「公式」)を嫌悪している程度は、ほぼ原理の方と同じレベルと考えてください。)

 ですがこれも、私のような拗らせオタクがうだうだ悩むまでもなく、キャスト御本人たちから十分過ぎるお言葉があったため、既に解決しています。これは私の解釈というより、原典を引用しますので、各人で判断するべきことだろうと思います。

 本当に誰からともなくこういうファンが一番求めている言葉を届けてくれるのがμ'sなのです。(無論、南條さんからは多分すぐには言葉はないだろうと予想できましたし、「言葉に出さなくても伝わるはず」とファンを信じてくれるのがなんとも南條さんらしいなと思った次第です。)



 本当に馬鹿みたいに長い文章になっってしまいましたが、最後に私個人の気持ちです。最初こそ「μ'sが再び私たちの前に現れるのだから、せっかくならワンマンライブがよかったな…」とか「サンシャインが全盛の今、別にμ'sを引っ張り出さなくてもよかったのでは…?」とか「μ'sのときに厄介やキッズが騒いだらたぶん殺してしまうな…」とか余計なことをあれこれ考えていましたが、今は素直に「μ'sにまた会いたい」と思えるようになりました。
 キャストの肉体的な問題で、もはやかつてのワンマンライブのようなパフォーマンスを期待するのは酷でしょうし、私もそういうものを期待しているわけではないので、今回のような他の若いグループが全面に立ちつつ、μ'sは「ゲスト」みたいな感じで数曲歌ってくれる姿が見れればもう十分過ぎるほど満足できると思います。いっそμ'sは歌わなくてもいいんじゃないかとさえ思っています。だからこそフェスにおけるμ'sがどういう立ち位置を占めるのかには注目していきたいと思います。
 繰り返しになりますが、「μ'sが3年経った今もなおμ'sである」という当たり前の事実を確認できさえすれば、私立ちは十分なのです。

μ'sic Forever♪♪♪♪♪♪♪♪♪という約束が心の中にずっとあるからです。



「SUNNY DAY SONG」について
 私も心情的には限りなく「原理」寄りですので、当然AqoursがSDSを歌う可能性についても考えました。本来的にアニメの世界のAqours、つまり最初にSDSが歌われた(第3回ラブライブ!が開催された劇場版の)時から5年後の世界のAqoursがこの歌を歌うのはおかしいというのが持論ですが、今回の「フェス」に関して言えば、アニメとは異なる世界のAqoursとして登壇する(μ'sに憧れてスクールアイドルを目指した高海千歌はスクスタ時空には存在しない。)と推察されるので、おそらく問題はありません。(まあ、SDSから「”凄いのはμ'sやA-RISEだけじゃなく、スクールアイドルみんななんだ”ということを伝えるための歌」という意味合いを取り除いて、単なる「スクールアイドルみんなの歌」として歌うことに何の意味があるかは謎ですが…)この点に関してはサンシャインのファンの方と(喧嘩にならない程度で)どのような理解の仕方なのか話し合ってみたいです。


「僕たちはひとつの光」について
 歌われることはないでしょう。μ'sのファンもファイナルライブで披露されたあの曲を知っていれば、合同フェスで歌ってほしいとは望まないはずです。セットリストに関してある程度、現「公式」から要望等が出される可能性も考えられますが、その時はちゃんとμ'sが拒否してくれると思います。



 というわけで、最初こそ戸惑いましたが、今は「ラブライブ!フェス」を楽しみに待っています。現地にければ一番ですが、ライビュだとしてもなんとかして「参加」したいと思っています。今回の発表に音楽プロデューサーのキサラ氏、京極監督が来てくれたという事実だけでも「スクスタ」に対して希望が持てるような気がします。7月からはラジオも始まるということで、この前のNHKの「ラブライブ!三昧」のような素敵な放送になったらいいなと願っています。

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