出来ない子は、出来る子だ。
うちの娘はふたりとも、お迎えに行ったときの車に乗り込むまでの時間が他の子たちより圧倒的に長かった。
なんでみんなそんなすんなり車に乗るんだろう、と不思議だった。
どんな声掛けしても、娘は興味のあるものを見つけては遊びだしてしまう。
たまに娘につられて遊ぶ子もいたけど
「そろそろ帰ろう」と母親が一声かけたら「はぁい」と言ってすんなり遊びをやめて帰る子の方が多く、衝撃的だった。
何で他の子たちはこんなに大人の言う通りに動くんだろう…と、その当時すごく羨ましくて、いつしか園庭に私と娘だけになっているときは虚しささえ感じた。
きっとみんな声掛けや育て方が上手だから、素直に車に乗り込んでいくんだろう。自分はそれが出来ないからダメな親なんだろうと思っていた。
普段から周りと比べて出来ないことが多かったから、"周りの子が出来て我が子がうまく出来ないこと"に目を向けては落ち込んでしまう事が悲しかった。
帰り道を真っすぐ歩けないのは親である自分のせいなのか、子どものせいなのか。
いずれにしても、自分だけが上手くやれていないみたいで、つらかった。
**
ふたりめが産まれても、結局同じだった。
どちらの子も素直に帰り道を真っすぐ歩くことはない。
自分が甘やかしすぎなんだろうか、と思った。
もっと厳しく声掛けすれば出来るようになるんだろうか、とも思った。
働いているときは家に家事が溜まっていることもわかっていたから、早く帰りたくて、だからこそ、帰り道を真っすぐ帰ってくれる子どもが羨ましかった。
でも、私は実は、本当は子どもがそうやって些細なもので喜ぶ姿が好きだった。
だから厳しく止めるのも何だか嫌だった。
うちの子たちは、いつも帰り道をぐにゃぐにゃと寄り道していた。
***
先日、下の子が卒園を迎えた。
卒園式には出なかった。
本人が、出たくないと言って強く拒否した。
式の練習も、一度も参加しなかった。
3月はほとんど登園すら出来なかった。
登園出来る日は、練習が無い日か、練習がある日は練習が終わったあとと決まっていた。
娘は断固として、式に関わることを拒絶した。
こういうことがある度に
"なんでうちの子だけ?"という思いが頭をよぎる。
上の子が運動会を嫌がった最初の年。
私にしがみついて動けない娘をなだめながら、当たり前のように競技参加出来ている他の子をぼんやり見ていた。
"なんでうちの子だけ?"
どんなに説得しても学校に行かないと言われ、途方にくれていた朝。
ランドセルを背負って自分の足で学校に向かえる子をぼんやり見ていた。
"なんでうちの子だけ?"
下の子はいつも喜んで幼稚園に行っていたから、この子は学校も行けるだろうと思っていたのに、最後の最後に突然行けなくなった。
他の子は当たり前に幼稚園の玄関に笑顔で入っていくのに、娘は玄関ドアの脇にうずくまって中に入ることを拒んだ。
日に日にその距離は伸びて、車から降りなくなり、家から出なくなった。
"なんでうちの子だけ?"
周りの子が当たり前にやれていることを、何で、昔からうちの子は出来ないんだろうと思った。
それを感じるたびに辛かった。
"当たり前"から外れていくことが怖かった。
今思うと、何が怖いのか正直よくわからない。
"当たり前"に沿って生きていれば間違いなく幸せに生きられるわけでもないのに、何故か人は"当たり前"に属することを望みがちだ。
****
卒園式の何が嫌なのか、それについて本人に聞いたら
「みんなの前でマイクでお話するのが嫌だ」と言った。
私も小学校の卒業式で、将来の夢を発表したことを思い出した。
卒業証書を受け取った脇の方にマイクがあって、一言喋ってからステージから降りるのだ。
そうだ。
私も、あのころ、それが、嫌で仕方なかった。
でも、みんなが"当たり前"にそれをやっていて、それが嫌だと言って拒絶する人はいなくて。やりたくないなんて、到底言えなかった。
私は昔から"当たり前"から外れることが、怖かった。
今でも、証書を受け取ったあとマイクの前に立って喋ったときの恐怖心を覚えている。自分の発した声がマイクを通して広い体育館に響くことが嫌で仕方なかったことを、覚えている。
思い返すと、あれって何のためにやるんだろうね。
未来への誓いかなんかなんだろうか。
ちなみにその日
「絵を描く仕事がしたいです」
と言ったことも、覚えている。
叶っている。笑ける。
声に出したら夢は叶うなんて言うけれど、あの日ステージの上で夢を話した同級生はみんなあの日の夢が叶っているのだろうか。
もしそうなら、恐怖を抱えながらあれをやる価値も、ないこともない。
ちなみに夫も同じ小学校を卒業しているのだけど、ステージで何を喋ったかなんて覚えてないらしい。多分そんなもんだろう。
私は絵ぐらいしか出来ることがなくて、ずっと代わり映えなく夢が絵を描くことだったから覚えているだけだ。
その夢も「絵なんて仕事に出来るのはほんの一握りだ」という大人たちの声に潰されて、最初は手堅い違う職を選んでいた。
でも結果的に一握りに入れたことを思うと、無責任に人の夢に口を出すもんじゃないよな、とも思う。
私は嫌で仕方なかったことを、嫌だと言えなかった。
いや、ちがう。
中学校に入る時、スカートの制服が嫌だと泣いて抵抗しても、用意された私の制服はスカートだった。あのころは、抵抗しても無駄だった。
覚えていないが、ステージの上で喋ることも多少は抵抗したかもしれない。
"みんなやってるんだから"の言葉だけで全て押し込められた。
そうやって私はいつしか、逆らうことを諦めた。
だから絵を描きたいという夢を追うのもやめていたのかもしれない。
大人になった私は、親が喜ぶような手堅い職に就いた。
でも、子どもを育てながら働いて、余裕が無くなりパンクして…手堅い職を手放した。
疲れ果てた自分に残っていたのは、子どものころ『それしか無かった』絵を描くことだった。
そして今私は、絵を仕事にしている。
結局私は、あの日やりたかったことをやっている。
*****
娘はどうか。
全身全力で、やりたくないことを、拒否した。
上の子も、下の子も。
それは果たして悪いことなのか、と思った。
悲しくなったり、辛くなったりする必要があることだろうかと思った。
やりたくないことを、やりたくないと言えること。
それはすごく大切なことではなかったか。
みんなが真っすぐ歩く道を、ぐねぐねと歩いた娘たち。
娘たちは、真っすぐ歩きたくなかったのだ。
やりたいことを、やりたい気持ちのままにやれること。
それもすごく大切なことではなかったか。
それた道の先にある、色んな気になるものたちひとつひとつに手を出すことは、むしろ、とても自由で豊かなことだったのではないか。
やりたくないことをやりたくないとハッキリ拒んだ娘たちは、小さな頃から自分の欲求にただただ素直に従って生きている。
それが出来るのは、むしろすごいことのような気がしてきた。
無理強いされて、要求を押し込められてきた自分の幼少期を思うと、大人の力でやりたくないことの強要はしたくなかった。
"当たり前の親"から外れることは怖かった。
卒園式の日を過ぎて、どこかスッキリした、今。
ようやく、きっとこれでいいのだと思えた。
いつでも大人が正解を持っているとは限らない。
本人の道は本人が選ぶのがいい。
そう思ったら、あの日、娘が真っすぐ車に向かえないことを辛く感じていた自分にそれを伝えたくなった。
それで、Xに勢いのまま打ち込んだ、こんな文章を投げた。
Xに長文を投稿してもあまり伸びることってないのだが、これは比較的反応があった。
同じように悩む母親が引用で伝えてくれる。
「うちの子も真っすぐ歩きません」「でもこの文章に救われた気がする」と。
私と同じような思いを抱える他の母親に、もっと伝わってほしいと思って、文章そのままで漫画にした。
少しだけこの文章だとひっかかるものがあるなと思いながら、それでもそのまま投稿した。
引っかかるな、と思った部分にすぐ反応した人がいた。
「うちの子は手を繋いで歩いてくれる子だったけど、別に周りのものに興味を持てなかったわけじゃない。ちょっとこの漫画の表現は嫌だな」
…そうだよな。
この文章のままだと『手を繋いで歩ける子が豊かではないかのように受け取れるのではないか』という違和感はあった。
文章のとき違和感を感じなくても、漫画になるとわかりやすくなることが顕著にわかった。文章ではそういう反応は出なかったから。
投稿して数分でその反応があったぐらいだから、これはやっぱり良くない表現だったな、と投稿を削除する。SNS投稿はこういう反応を作品に反映出来ることがメリットだと思う。
「手を繋がずにどこかへ行ってしまう、そんな子どもを育てることを辛く受けとめないで欲しい」というメッセージを、手を繋げる子を否定せずに伝えられる文として練り直す。
どんな子の親も否定された気持ちにならず、ただ悲しい思いをしている人に優しく届くことを願う。
Voicyでも話してます。
サポートいただけたらそれも創作に活かしていきますので、活動の応援としてぽちりとお気軽にサポート頂けたら嬉しいです。