ワガママ
約1週間以上家に引きこもり、とうとう気がおかしくなりそうだったので今日は家族で車内ピクニックしました。どうも、モノです。
車から一歩も降りずです。
これもまた数年後には良い思い出になるんでしょう。
新しくなった担任から家庭訪問がしたいと連絡をもらってから、そんなに日が経たないうちに当日を迎えた。
久しぶりの酸素メーカーのおじさん以外の来客だ。
家中に這わせた酸素チューブをリビングから引っ張り倒して玄関で待ちわびた。
チャイムが鳴り、母が玄関を開けるとそこにはリアル大男がいた。
思ってたんとちゃう。
心の中の私の言葉はこうだった。(失礼)
ガタイの大きな20代後半だろうか。少しだけ髭が生えていて、とにかくでかい。
通常なら玄関先で終わらせるのが家庭訪問だが、私の場合は色々と話をしなければいけなかったので当日の朝から母が爆速で掃除したてのリビングへ入ってもらった。
母がお茶とお茶菓子を準備している間
私は先生(以下、クマ先生)の向かい側に座った。
クマ先生は私に笑いかけていたが、何しろ家族と医師以外の大人とマトモに喋ったのが数年ぶり。
めちゃくちゃ緊張していた。
私と母が隣に座り、向かいにクマ先生、傍で妹はお構いなしにオモチャで遊んでいた。
自己紹介から始まり、私が1組だということ、クラスメイトには誰がいるか等の基本的なことを教えてもらった。
そして、本題。
今後の復学についてだった。
母は全て話した。
あの日心不全で失神した瞬間から今日までの話。
先日の入院で在宅持続静注療法をスタートさせたこと。
今の治療は途中に過ぎなくて、将来的には生体肝移植を目指していること。
全てを話終わり、やはり沈黙が続いた。
クマ先生も新任教師ではなかったらしいが、前例のない児童がクラスに在籍していることを認識した瞬間だったと思う。
正直、私も母もこの家庭訪問で養護学校への転校を勧められることも覚悟していた。
あまりにも前例がなさすぎる。
そして、私を預かることは学校全体のリスクにも負担にもなる。と私はよく考えていた。
沈黙を破り、クマ先生が私の方を向いて
『モノちゃん、学校行きたい?』と尋ねた。
瞬時に迷った。
ここで私が正直に行きたいと言えば、学校の母の負担にもなる。
もしここで私が行きたくないと言えば、専門の知識がある養護学校に転校することになるかもしれない。
それだと周囲の人は負担を負わなくて済むかもしれない。
よし、行きたくないといえば角が立つから不安だと言おう。そうすればクマ先生にも角が立たないしいい方向に進むかもしれない!
『行きたい!!!』
頭で考えていたことと口をついて出た言葉は違った。
どうしよう。行きたいって言っちゃった。。
子どもながらにしまったと思った。
でも、クマ先生は嬉しそうに笑って
『よし!じゃあ、先生と頑張ろう!』と言ってくれた
母は複雑な顔をしているかなと思い見てみると、なんとも嬉しそうな顔をしていた。
これで良かったんだ。
もしかして、これが得策だったんだ。
ただ、これは家庭訪問の中で決まった話だ。
この先は母・クマ先生・校長教頭・教育委員会が決めていくことになる。
そもそも、養護学校に転校せずに公立小学校へ継続して通学することを学校側が教育委員会が許してくれるのか?母はそう思ったらしい。
学校と教育委員会が話し合い、継続して通学することを認めてくれた。
その代わり、家族の誰かが私が学校で過ごす間は必ず同行すること。
百聞は一見にしかずではないけれど、やってみなきゃわからない。
恐らく私の知らないところで色んな人が駆け回ってくれたおかげで無事に復学初日を迎えた。
当分の学校生活の条件は
・登校班とは別で母と登校する
・段階的に滞在時間を増やす
・週に3日これたら良い方
・ランドセルは重量があるので当分は手提げバック
初日の朝、登校班が全て出発した時間帯に出発した。
母は子乗せ自転車に妹を乗せて、カゴに私の筆記用具の入った手提げバックを乗せて、自転車を押してゆっくりゆっくり歩いた。
自宅から学校までは子どもの足で10~15分ほど
長期入院と引きこもりの著しい筋力低下のおかげでだいぶ時間はかかった。途中に休憩を挟みながらゆっくりゆっくり歩いた。
あの日心不全で失神した場所も通った。
あの日の記憶が蘇り切なくもなった。
同時に、再び自分の足でそこを歩ける喜びも感じた。
このスピードでは登校班にまじればたちまち置いてけぼり以上に歩くのが遅かったが、ようやく到着した。
約1年半ぶりの学校
約1年半ぶりの下駄箱
約1年半ぶりの教室
何もかもが嬉しくてたまらなかった。
言われた通り、教室へは行かずまずは保健室に向かった。時刻はまだ朝休み、保健室へ入ると入学から変わっていない保健の先生がいた。
私が入っていくと駆け寄り、抱きしめてくれた。
先生の顔を見るとうっすら涙が出ていた。
『心配したよ。頑張ったね。』
恥ずかしくて頷くことしか出来なかった。
そこへ、職員会議を終えたクマ先生が入ってきた。
『おはよう。よく来たね。』
そこから小一時間ほど、保健の先生を混じえて注意すべき点などを再確認するミーティングがあった。
1時間目と2時間目の間の休憩時間に何だか外が騒がしいな。とおもってふとドアの小窓を見ると1年生の時のクラスメイトの女の子数名ががこちらを覗いて、手を振っていた。嬉しくて私も手を振った。
そのすぐあと、また騒がしいと思って小窓を見ると学年の女の子ほぼ全員がいた。
あまりの騒がしさにクマ先生が教室に戻るように言った。
でも、数分するとまたみんな来た。
そして、いよいよ我慢ならずドアを開け私の元へやってきてくれた。
そして、私に両手では抱えきれないほどの手紙をくれた。みんなは口々に『休み時間鬼ごっこしようね!』とか『今日の給食カレーだよ!』とか声をかけてくれた。
とりあえず、授業が始まるのでクマ先生が再度教室に戻るように言った。
私もいよいよ、母とクマ先生と保健室を後にした。
クマ先生に連れられて 2年1組 と書かれた札が吊り下げられている教室のドアに手をかけてオペ前並に緊張しながら開けた。
そこには、懐かしい仲間がいた。
みんな驚いていた。
『モノちゃん!!』
『モノちゃんや!!』
『やっぱりほんまやったん!?』
口々にみんなが私に気づき騒がしくなった。
どうやら、さっき手紙を渡しに来てくれた女の子たちが一気に学年全体に広めてくれたらしい。
母とは一旦ここで別れ、母と妹は教室前の廊下で用意された椅子に座り待った。
私を含めたみんなの興奮が冷めやらぬまま、算数の授業が始まった。当然何を言っているのか分からなかったけど、クマ先生は私用にレベルのあったプリントを与えてくれた。
算数の授業が終わり、みんなの待ちに待った給食の時間だった。
だが、初日の私はここで下校時間だった。
女の子数人が『今日はカレーだよ!』『お箸ある?』『ランチマット持ってきた?』とか私が給食を食べると思って気にかけてくれた。
『ごめんね。私、今日はもう帰らなあかんねん。』
この一言が、たった一言が言えなかった。
自分も辛くて
こんなにみんなが想ってくれていることを知ると言い出せなかった。
そこへクマ先生がやって来て
『モノちゃんは今日久々に学校来たやろ?いきなりおしまいの会までいると身体疲れちゃうから今日は帰らなあかんねん。残念やなぁ。でも、すぐにみんなと給食食べられるようになるから!焦らない焦らない!』とニコニコ笑って言ってくれた。
声をかけてくれたクラスメイトは少し不服そうに納得してくれた。むしろ、納得できなかったのは私の方だった。
母の待つ空き教室までクマ先生と2人で行く道中、久しぶりにワガママ言った。泣きながら。
『モノもみんなとおしまいの会までおりたい』
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