甘え倒して泣き散らかした日の話


相変わらず『死にたくない』と連呼しながらギャン泣きし、取り乱す私の元へ母と救急車が向かっていた。


先に母が到着し、保健室へさながらヘッドスライディングぐらいの勢いで入ってきて取り乱している私を見てびっくりした様子だった。


『落ち着きなさい!!病院に行くから泣き止んで!』と叱られ何とか自分を落ち着かせようとした。


それでも、目の前には未だに鳴り止まないアラーム音と共にどうしたらいいか分からない画面表示をしている輸液ポンプ


救急車が到着し、母と校長の3人で乗り込んだ。


この時、校長が
『マニュアル通りに行きましょう!』と言いマニュアル作成時に足を運んだ地元の病院への搬送依頼をお願いした。


もしかしたら断られるかもしれない。と思ったが拍子抜けするくらい二つ返事で受け入れてくれた。


到着するや否や、説明をしに行った時は消極的だった地元の小児科医が
『どういう状況ですか!』
『投与が止まってからどれくらいですか!』
『お母さん、必要な物品を教えてください!』
と矢継ぎ早に聞いてくれるくらいには対応してくれた。


結局、この日のアラームはルートの詰まりから来るものだった。

自宅から持ってきた替えのルートと病院で用意してもらったシリンジで母が対応した。


その光景をそばで見ていた地元小児科医は
『お母さん、すごいですね。何も出来ずすみません。』と言ってくれたらしい。

投与中断から30分以上経っていたけれど、大事には至らずにすんだ。


処置が終わり、養護の先生が車で病院まで迎えに来てくれた。

初めての校内アラーム事件をきっかけに私の異常なほどの取り乱しが露呈した。

帰りの車内でも校長に言われた。
『モノ、泣いてもいい。でも泣きすぎると余計にしんどくなるから次にトラブルがあった時はもうちょい落ち着いてみような。』と

恥ずかしかった。
自分でもあんなに取り乱すと思っていなかった。
何よりも、自分の口から無意識に
『死にたくない』という言葉が出たことにもびっくりした。

この時既に4年生。
難しい話は分からなくても両親と医師が話している内容は少しずつわかってくる年齢だった。

色んな大人が色んな話を目の前でしてきた。
その度に両親は悲しそうな顔をした。
泣いた時もあった。
いつも笑っている両親が泣くくらいの話なんだから相当な内容なんだろう。そう思わずにいられなかった。

だからこそ、
『投与が30分止まると危険です』この言葉が命のリミットと捉えてしまった。

学校に戻り、上履きも荷物も何もかも保健室に置いてあると聞いてこっそり取りに戻った。

誰にも会いたくない。
あんな取り乱した姿を見られたのは恥でしかない。
絶対先生達びっくりしただろうな。

色々なことを考えながら静かに物音を立てずに
職員棟に向かった。

恐る恐る職員棟入口のドアを開けるとそこには、出張から帰っていたドラ先生と対応してくれたクマ先生や教頭がいた。

思わず足が止まった。
特にクマ先生と教頭は私が取り乱している間ずっと手を握り励ましてくれていた。

ありがとうございました
ごめんなさい
次頑張ります

何を言えばいいんだろう。
脳内フル回転で考えた。
するとドラ先生は両手を広げて私に

『おいで。』

と言ってくれた。
この言葉を聞いた瞬間、ピンと張っていた糸が切れたように涙が溢れた。
泣きながらドラ先生に抱きついてしまった。
もう4年生だというのに。

ドラ先生は私の頭を撫でながら抱きしめた。
『怖かったな。頑張ったな。もう大丈夫やから。』
びっくりするくらい涙が溢れた。


クマ先生は私に
『おかえり。』と言い

教頭は泣きながら頭を撫でてもらっている私に
『頑張ったもんな。甘えろ甘えろ。泣いてもいい。甘えたっていいんや。我慢せんでいい。』と言ってくれた。


初めて両親以外の前で病気のことで大泣きして、甘えた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?