日本は二度と独立国になれない


参政党に党員が集ったのは、「いい給料」をもらへなくなったといふ不満を持つ人たちに、その不満と世直しとを結びつけたからだと思ひます。

ただ単に、日本がアメリカの属国であることが日本人の精神を蝕んでゐるといふ主張だけだったら、人は集まらなかったと思ひます。
これでは、ただの精神運動であり、政治ではありません。

民衆は政治的にしか動かないし、政治とは何か見返りを与へることを約束して人を集めることです。

「子供たちの未来のために」といふ合言葉によって、経済的な不満は、何かいかめしい公憤に変はりました。
党員となった人たちが
「成長経済を失ってしまった、こんな日本に誰がしたのだ」
といふ怒りの声を上げ始めたのです。

参政党のアドバイザーの武田邦彦氏は、
七十年から九十年までの日本はよかった」と言ってゐますが、
よかったのは
いい給料をもらえてよかった。毎年、給料が上がってよかった」といふことで、その頃の日本はエコノミック・アニマルとも呼ばれてゐて、とにかくお金お金お金で精神的には日本の歴史上もっとも堕落した時代でした。

そのお金お金お金の時代を、大学を卒業して社会人になった全共闘世代が謳歌しました。

それに続いた世代は、魂を売った親たちの子供ですから、生まれながらに魂がありません。
悩みも希望も、喜びも苦しみも、魂の無い身体からは抜け落ちる。

感じるのは、生ぬるい幸福感と、うっすらとした生きづらさ。

経済成長する日本の中で、志すものもなく、目指す方向もなく、占領軍の与へてくれた3Sにしゃぶりつくしか生の実感を持てない・ふわふわとした青春を漂ひました。

3Sにしゃぶりつくしか生の実感を持てない人生、これは今の最も若い世代にも続いてゐます。今は、3Sの他に、自分の夢とか発達障害とかダンスとかSNSとか、しゃぶるものが若干増えてゐますが。

七十年の万博の年に、日本が独立より、属国としての経済的繁栄を選んだといふことは、当時の国民はみんな知ってゐました。安保闘争を通じて、すべての国民は、日本とアメリカとの関係を理解してゐたからです。

理解した上で、
自衛隊を、軍隊ではないとする偽善を捨てて、日本の国軍とすること、つまりは国家として自立すること、それを拒んだのです。

世界でも最強の軍備を持つ日本といふ国家が、世界に向けて、自衛隊を軍隊ではないといふ大嘘をつき続けるのを、国民は一人として恥とは思はなかったのです。疑問にも感じませんでした。
これが平和への道だと思ひました。

今も自衛隊が災害時に活躍してくれるといふので、やはり日本に自衛隊があってよかったと多くの国民が思ふやうになってゐます。

憲法は、占領軍から英文で手渡された占領基本法を一字一句修正しないで国家の憲法にすることにした。
この占領基本法を、そのままコンスティテューション(憲法であり国体)にすることに日本人全員が同意したのです。

そして、バブルがはじけるまで、
お金お金お金と、目の前に人参をぶらさげられた馬みたいに働き続けたわけです。
働けば働くほど、お金が入るので、働くのが楽しくてたまらなかったのです。

今の社会ではダメだといふ声は聞こえますが、
日本人の大多数は、銀行預金が消えてしまふやうな革命的な社会変革は望んでゐません。
革命的な変化を望むのは、貯金もままならぬ低所得者たちだけです。貯蓄もできない低所得者にとっては、今の社会は、生まれたときから、自分たちになんの得ももたらさなかった。こんなものは、今すぐにでも、壊れてしまへと思ってゐます。

その低所得者の数がじわじわと増えてきてゐます。

一方では、貯金はあるものの、富裕層にはなれないといふ不満を抱えた人たちが、右肩上がりの成長経済を取り戻す社会を望み始めました。

今の社会に不満を抱く、二つの層を束ねた人たちが、いきなり、
日本がアメリカの属国であることがけしからんと騒ぎ始めました。
日本とアメリカは、まったく不平等であるとか、日米には密約があったとかあるとか暴露して、何か、それが事新しいことで、それを言ひ立てることが正義であるかのやうに演説してゐます。

その点では、参政党とれいわ新選組は、主張してゐることが同じです。

ほんたうの民主主義の実現
日本を取り戻す

結果として、子供たちが幸福になれる、右肩上がりの成長経済が取り戻せるといふわけです。

アメリカに対する非難や恨み言は、パトロンのおかげで水商売が出来てゐる女性が「店の上りをピンハネした上、私にセックスを強要する」とパトロンを罵るのと同じです。
日本がアメリカの妾であることを選択したのは、政府でも自民党でもなく、日本国民なのです。
それが繁栄と幸福と平和、松下幸之助的PHPへの道だったからです。

「アメリカが敵だと言ってゐるのではない、対等な国として同盟関係を結びたいだけだ」
などと日本が言ったとしても、アメリカは、平和と右肩上がりの成長経済のめなら、どの国にも身体を売る(魂はもう無いので売れない)日本と対等になるわけがありません。

アメリカの属国であることをやめるには、国民一人一人が、老若男女問わず、戦争をする覚悟を持つ必要があります。

日本はアメリカに経済的に搾取されてゐると嘆く人がゐますが、戦争に負けてアメリカの植民地なったのですから、当然です。アメリカにとって日本の存在理由は、アメリカの植民地であることです。

占領期間を含む戦後の二十年間によってそのことを理解した上で、日本国民は、日米安保条約を支持し、アメリカの軍事基地を日本に招き入れて、日本の平和を維持することにしたのです。

日本国民が選んだのです。ちょっとデモをして、人が1人死んで驚いてやめました。
平和のためのデモで人が死んでは何にもならない。
平和が何よりも大切で、戦争だけは絶対にダメなのだから、アメリカの軍事基地が日本にあってもいいのです。

国民一人一人に戦争をする気も技能もないのに、その国が独立してゐるといふことは有り得ません。

右寄り政党とみなされる「新党くにもり」ですら、
「日本は、戦争をしないために、核を持て」と言ったりしてゐます。
自分たちが兵隊として戦ふことはなんとしても避けたい。
兵士でも軍備でもなく、核兵器といふミサイルに「くにもり」の責任を一切合切すべて負はせて、そのミサイルで他国を脅して、日本の独立を獲得したいといふわけです。

核武装するにあたって、政府は国民に「日本はたとへ核攻撃を受けても、核を絶対に使はない」と約束して国民を安心させるでせう。
抑止力としての核武装は、相手国から核兵器が飛んで来たら、そのお役目は終はりです。抑止できなくなったからです。

核武装は、憲法九条で戦争を回避する方法と原理としては同じです。
核武装は、平和ボケした老人の言ふことです。

核武装も憲法九条による平和維持も、日本としてはもっともな選択だと思ひます。
属国としてどんなにみじめな暮らしでも、戦争よりはましだ。
それが戦争に負けたときに、日本国民が痛感したことでした。

昭和四十五年、1970年に、独立の最後のチャンスを放棄しました。
それをお祝いするかのやうに、大阪万博が始まったのです。
テーマは、人類の進歩と調和。

こんにちは こんにちは 世界の国から
こんにちは こんにちは 世界の国へ
1970年の こんにちは

もう日本が独立する日は二度と来ません。



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