あたかも姫のやうに

 今の2020年代の日本では、電気や水道や都市ガスが完備されてゐます。
 ほどよい温水が出て便座も温められてゐる水洗トイレを使ひ、冷暖房装置のある家や部屋で暮らしてゐます。身分制度は無いし、人権もやかましく言はれてゐる。

 かういふものは、最近になって揃ったので、江戸時代の姫などがタイムマシンでやってきたら、わたしたちの暮らしに驚嘆して、姫として生きる自分の過去の世界に戻る気を失くすやうな気がします。

 年収二百万円にも満たない暮らしから始めるとしても、今の日本で生きるなら、ボタンを押すだけで灯りがつく。レバーを上げると水が出る。お湯も出る。洗濯は機械がやる。掃除に箒を使はない。ご飯を炊くのに薪をくべる必要もない。
 そんなに楽になって暇ができたので困るかと思ったら、江戸時代で生きるより、比べ物にならないほどの多種多様な衣装や食べ物を楽しめて、ショッピングモールを歩いてゐるだけでも、何をして時間をつぶせばいいかと悩まないですむ。
 それでも暇ならテレビといふ・最大の暇つぶし装置がある。

 歯がゐたくなったら歯医者があります。
 他にもどこか痛くなったり怪我をしたり病気になったりしたら、どこに行けばいいのか迷ふほどの数の病院があります。
 電話で救急車を呼べる。
 安心です。
 姫は江戸時代に暮らしてゐたとき、こんな安心がこの世にあり得るなんて夢にも思ったことがない。

 何よりも自由がある。どこに行かうが何を仕事にしようが自由。
 しかも、その自由からは、姫として生まれた宿命と、それにつきまとふ義務は完全に免除されてゐる。
 誰にとっても誰でもない「私」として大勢の他人の中に紛れ込んで生きることができる。自分から実は私は、と言はない限り、姫が姫だといふことは誰も知らない。
 そんな世界に日本がなったのは、ここ数十年のことです。

 今の日本でこそ、江戸時代からやってきた姫は、本当の意味で、あたかも姫のごとく暮らせるかもしれません。

 問題は、自分が他人にとって姫でなければ、自分はなんなのか、自分で決めなければならないこと。


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