お笑いファン「てっしん」とは何者か?お笑いファン歴18年を振り返る

この記事について

今お笑いライブを全力で楽しんでいる私ですが、そんな自分が人生でどのようにお笑いに関わってきたかを振り返ってまとめ、自分がどんなお笑いファンだったかを皆様に知ってもらおうという記事です。早速振り返っていきましょう。

幼少期(~11歳まで)

この辺りまではお笑いに触れた記憶はあまりない。本当に小さいころにボキャブラ天国の点数が出る画面の雰囲気と、「電光石火のトリプルプレイ」というワードだけ覚えていた。

初めてお笑いに触れる期(小学5~6年生)

この辺りで学校でエンタの神様が流行りだす。クラスではみんなドランクドラゴンに夢中だったと思う。自分は陣内智則とアンジャッシュ見てすげ~って思ってた気がする。ただまだ本格的にハマってたわけではなかった。

お笑いにハマるきっかけに出会う(中学1年生)

ここからお笑いファン。
笑いの金メダルという番組にハマり、若手芸人のネタの面白さに夢中になる。ネタでバトルするのでその様子の白熱さに完全に夢中だった。
特に、エンタの神様は漫才をほぼやらなかったのでこの時初めてちゃんと漫才を見てハマったと思う。
タカアンドトシ、スピードワゴン、インスタントジョンソン、さくらんぼブービー、三拍子を特に好きになる。
(特にさくらんぼブービーは何が何だかわからないけどいつの間にか心の底から笑っているという感じで衝撃だった。後にランジャタイのことを好きになるのは子供のころさくらんぼブービーに出会っていたからなのではないかと思っていたりする)

完全にお笑いにハマる期(中学1~3年生)

ただし、笑いの金メダルは半年くらいでネタバトルの番組ではなくネタ+バラエティという感じの番組になってしまう。
若手芸人がバトルする姿に完全にハマっていた自分は新たな刺激を求めた結果、爆笑オンエアバトルに出会う。
自分が出会った年は第7期と呼ばれており、過去のスターはすでにかなり卒業した後だったようだが、それでも自分には素晴らしい刺激だった。
見始めてすぐタカアンドトシが新チャンピオンになり喜ぶ。三拍子、キャン×キャン、東京03、磁石、ハマカーン、流れ星、トータルテンボス、パンクブーブー、NON STYLE、タイムマシーン3号らにハマる。
また、この時期にインターネットの大喜利や長文ネタ投稿を少しだけかじる。今TwitterでつながっているFANさんや田んぼマンさんはこの時に一方的に見ていた人たちである。結果はなんも残せてないので自分としてはやってなかったことにしている。

初めて生のお笑いに触れる(中学3年生)

中学卒業記念として友人と3人でオンエアバトルの収録を見に行こう!となり、第9回チャンピオン大会ファイナルの審査員に行く。これが初めてのお笑いライブだったと思う。
生で見るとテレビで見る以上にネタが楽しく、ライブの魅力にどっぷりとなった。あまりにも面白かったので、11組全組にゴルフボールを流してしまった。最下位だったエレファントジョンですらめちゃくちゃ面白かった。
そして最後に登場したNON STYLE、当時は井上さんのイキリと石田さんの強烈なアクションが売りの漫才で、ド迫力のお笑いに死にそうになるくらい笑った記憶がある。そのままチャンピオンになった。
完全にこの日が自分にとってのお笑いライブ通いのルーツに違いない。

生のお笑いに通う期(高校1~2年生)

完全に生のお笑いにハマったので、高校生になってからひたすらオンエアバトルの審査員に応募しまくった。行ける日は毎回行ってた気がする。
このころちょうどレッドカーペットなど始まりショートネタブームというのが来た。ただオンエアバトルは長めのネタを毎回見られるので貴重だった記憶が強い。
高校2年生になると、オンエアバトルの収録会場は立ち見で見学をすることができるということを知り、審査員が当たらなくても東京収録のたびにNHKに行くようになっていた。立ち見でもいいから生のお笑いに触れていたかったんだと思う。
また、この時期に出待ちを覚えた。100円ショップで買った色紙とマジックでサインを書いてもらい、いろんな芸人さんのサインを集めるのにハマっていた。今や売れっ子の芸人さんのサインもいくつか実家においてある。自慢の宝物である。
この時期はモバゲータウンの質問広場のお笑いカテゴリーでお笑いファンと交流していた。今Twitterでつながっている魚雷2倍速さんや放送作家の立川ヒロナリさんとはモバゲーで交流していた。

お笑いに支えられる期(高校3年生)

受験生になり1日10時間勉強する必要ができた。オンエアバトルが月1放送になりこれはちゃんと集中して勉強しろということなのかなとも思ったが、
ボロボロになるまで勉強して家に帰ってきたときに見たお笑い番組に癒されていたのを覚えている。レッドカーペット、レッドシアター、イロモネア、あらびき団、クイズヘキサゴンあたりが心の支えだったと思う。受験がいい形で終わらせることができたのもお笑いのおかげだと思っている。

お笑い以上の趣味が見つかる期(大学1~4年)

大学生になってサークル活動で新たな趣味を見つけそれにハマった関係でお笑いにそこまでガッツリと触れる機会は少なくなった。それでもうすーく関わってはとは思う。オンバト+は毎週見てたし、キングオブコントも楽しみにしてた。M-1は2010に両国国技館で行われた準決勝を見に行った記憶がある。

お笑いから離れる期(大学4~院2年)

レッドカーペット、エンタの神様、イロモネアなど不自然にお笑い番組が一気に消えた時期があった。そしてオンバト+ですら終わってしまった。最終回の収録はどうにか観覧で参加した。ジグザグジギーがものすごかった。このあたりでお笑いを見る気がなくなってしまう。そのため2015~2016のキングオブコントとR-1ぐらんぷりは見ていない。お笑いから離れていた時期に、R-1でハリウッドザコシショウが優勝したと聞いたときは何事だ・・・と思った記憶がある。

K-PRO・ランジャタイに出会う期(社会人1~2年目)

社会人になってモバゲー時代の友人からお笑いライブに誘われる。そこではライブで三拍子や磁石が最前線で活躍していると知る。そこがK-PROだった。バティオスネタ祭りに行ったんだったと思う。それ以降土日にやっている気になるお笑いライブは積極的に行こうと決めた。そんな通い方を繰り返しているうちにランジャタイに出会った。やっていたネタが「弓矢」だった。本当になにがなんだか全く分からないのに、気づいたら全身から笑いがこみあげてくる感触があった。ライブだったからというのもあった気がする。お笑いファン歴長くなってもまだこんなに夢中になれる芸人さんに新しく出会えることができるのか、と衝撃だった。以降ランジャタイが出る土日のお笑いライブに積極的に行くことにした。

転勤期(社会人2~3年目)

転勤で岡山に飛ばされることになった。せっかくお笑いライブ通いが楽しくなってきたのになあとか、ほかにも関東でやっていた趣味があり、それらを楽しむプランが崩れてしまってかなり残念な気持ちになった。
それでも帰省するたびにお笑いライブ行ったりしてた。マツクランジャタイは気合で行った。後、オンエアバトル20周年記念番組の収録に招待されたので行った。全国ツアーで岡山に来た芸人さんのライブとかもいったかな。トータルテンボスとラバーガールが来てくれて、オンエアバトルっ子として本当にうれしかった。

関東に戻ってきた期(社会人4年目)

転勤ある会社やだなあと思い立って転職。関東に戻ってきた。
最初は実家の埼玉から会社に行っていたのでそこまでガッツりとは遊べなかったが、新宿が通り道だったため会社帰りにライブ行ったりもできるようになった。コロナが始まってしまいライブも不安定になったが、それでも積極的に行こうという気持ちになっていた。自分と同い年で活躍するストレッチーズ、さすらいラビー、ひつじねいり、ママタルトの4組に特にハマる。また、カナメストーンに出会ったのもこの辺り。

東京に引っ越した期(社会人5年目~今)

都心に引っ越したことにより今ライブ行きまくり生活となった。劇場に行くことが仕事以外の時間の使い方のメインとなってきている。
今まで応援していた芸人さんはもちろん、さらに若手の芸人さん(ハチカイ、センチネル)にも注目するようになる。
そして今に至る。

終わりに

私のお笑い遍歴について書いてみました。
今一番お笑いを楽しんでいるなと思っていますが、こうして楽しめているルーツみたいなものが過去の出来事から読み取れるような気がして、書いていて楽しかったです。うまくまとまってるかは知らない。
またお笑いの思い出についても書きたいなと思ってます。


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