性を買う側だけを罰する「北欧モデル」への批判:非犯罪化モデルとの比較論
はじめに
日本を含む大多数の国では、売買春を違法としている。むろん、法的規制の内容や方法、警察による取り締まりや罰則適用の実態、罰則の重さなどは国によって大きく異なるが、日本では現在のところ売春防止法によって対応されている。
しかし、売買春への新しい対応も模索されており、一部では既に施行されている。この改革の方向性には特に大きな二つの潮流がある。一つは1999年のスウェーデンで始まり、ヨーロッパを中心に広まった「買春側(主に男性)のみを処罰し、売春側(主に女性)を処罰しない」ことを特色とする北欧モデルである。もう一つは、ニュージーランドやオーストラリアで採用されている「売買春をそもそも犯罪としない」非犯罪化モデルである。
ただし、北欧モデルはどんな場合でも全く売春側を処罰しない訳ではなく、売春者が逮捕される事例も出ている。また、非犯罪化モデルに関しても同様であり、「部分的な非犯罪化」とでも表すべきライセンス制を採用しているドイツやオランダといった国もある。当然ながらそこでは「ライセンスのない売春者」は逮捕・処罰される。
本論では売買春の規制形態を、次の3つに分類する。
両犯罪モデル(大多数であるため定まった名称はないが、便宜上こう呼ぶ。)
北欧モデル(スウェーデン、ノルウェー、フランス等)
非犯罪化モデル(ニュージーランド、オーストラリア、ドイツ等)
ただし、この分類上で同じであっても、実態はしばしば大きく異なる。日本と中国は同じく両犯罪モデルであるが、日本の売春防止法が実質的に空文化しているのに対し、中国では取り締まりも厳しく、罰則も死刑までありうる。北欧モデルおよび非犯罪化モデルについても、(日本と中国ほどではないにせよ)バラツキがある点に留意が必要である。
北欧モデル支持者の主張
近年、日本でも女性の権利保護の観点から、北欧モデルの導入を呼びかける声がある。「ポルノ被害と性暴力を考える会」を前身とするNPO法人ぱっぷすは、その中でも特に団体としての支持する見解を明確に打ち出している。
北欧モデルは、「買う側だけを罰する」という特徴ばかりが注目されやすいが、片側だけであっても違法であれば、商取引の単位としては成立しない。つまり売春者も仕事にならず、生活基盤を失うことになる。従って、北欧モデルでは、売春者を「足抜け」させるために就労等の社会支援を行なうことをパッケージに含むのが一般的である。
スウェーデン政府は、2008年に「性的サービスの購入禁止を評価する調査委員会」を立ち上げて法律施行の1999年から2008年までの期間を検討した(Skarhed et al., 2010)。その結果、新しい法律の成果として、街頭売春が半減し、全体の売買春は(減少こそ確認できなかったものの)周辺国と比べて抑制されていることを指摘した。また、直接的なデータは得られていないが、自国が人身売買の市場となることへの対策として効果も期待できるとしている。
その後の再評価でも、同法は売春需要の抑止、国民への道徳的好影響(売買春・性的搾取は悪とする価値観の浸透)、組織犯罪への障壁になっていること等が成果として報告された(Ekberg et al., 2018)。
2009年にはノルウェーとアイスランドが北欧モデルの採用に舵を切った。さらに2014年には欧州議会が報告書を出し、その中で「北欧モデルが女性や少女の売春や人身売買を減少させ、それによって男女平等を促進する効果を持つという証拠は常に増え続けている。」「本報告書は北欧モデルを支持し、他の方法で売春に対処している加盟国政府に対し、スウェーデンや北欧モデルを採用した他の国々が達成した成功に照らして、自国の法律を見直すよう要請する。」と述べている(Committee on Women's Rights and Gender Equality, 2014)。
そして2014年にカナダ、2015年に北アイルランド、2016年にフランスと北欧モデルの採用国は増加した。
北欧モデルへの批判、その問題点
しかしながら、北欧モデルの採用がかえって女性の権利・安全・健康を害するという批判がある。
批判している団体はセックスワーカーの当事者団体を含めて数多いが、権威の面で代表を選ぶのであれば、国際人権団体のアムネスティ・インターナショナルと国連女子差別撤廃委員会(CEDAW)、および世界保健機関(WHO)だろう。
アムネスティ・インターナショナルは公式サイトで次のように述べている。
アムネスティは2016年にノルウェーで詳細な調査を行ない、北欧モデルによって売春を行なう女性の安全が危険に晒されている実態を明らかにした(Amnesty International, 2016)。
まず、取り締まりの強化と社会福祉政策の両輪で、性的搾取から「救済」されるはずだった売春者は、しかし売春から手を引きはしなかった。むろん制度上、生活支援や就労支援等を受けられはするが、セックスワークのように(少なくとも始めるのには)専門知識や経験を必要とせず、拘束時間の自由度に比して高い収入が得られる仕事など斡旋できない。最低賃金であっても何とかどこかの正社員になれれば幸運な方と言える。セックスワークのような仕事は、セックスワークしかないのである。
従って、摘発逃れのために路上売春こそ控えるようになったが、売春が減少まではしなかったのはスウェーデン政府の委託報告書も認める通りである。
加えて、「売春宿の経営」は罰するという規定に関しては悪い方向に作用した。
当該規定は非常に厳しく、アパートの一室を売春のために使うだけでも「経営」とみなされる。また、売春者が数人集まることも同様に「組織的買春」=「経営」と扱われる。ゆえに、「売春側は処罰されない」は厳密には実態と異なる表現であり、厳しく観れば虚偽であった。
北欧モデル下では、売春者は自衛手段に乏しくなり、安全な場所を選定したり、集団化によって危険な客に対抗することが困難となる。むしろ、客を警察から守るべく、外見上「恋人のように」振る舞い、ひとりで買春者の自宅に向かい、性的サービスを提供しなければならない事態に陥ったのである。
言うまでもなく、このような環境では盗撮・脅迫・暴力等のリスクが跳ねあがり、コンドームの着用拒否や過度のサービスの強要も行なわれるようになった。
北欧モデルの施行後は、こうした様々なリスクが複合し、売春当事者の安全が犠牲になっていることが調査研究により明らかにされている(Levy et al., 2014; Graham, 2017; Machat et al., 2019)。
国連女子差別撤廃員会も、両犯罪モデルおよび北欧モデルを廃止し、非犯罪化モデルに切り替えるよう各国に勧告を提出している。
また、医学系の一流学術誌であるThe Lancetは「HIVとセックスワーカーたち」と題した特集を行なっている。そこで公開された論説・論文は、いずれも性病蔓延への対策および人権保護の両観点から、非犯罪化モデルの採用を強く推奨している。
北欧モデルと非犯罪化モデルは、どちらにせよ議論のあるテーマであるが、1999年のスウェーデンから始まった北欧モデルは手放しで賞賛できる取り組みでは決してない。
北欧モデルの見直しと非犯罪化モデルの拡大
北欧モデルには現在、厳しい再評価の目が向けられている。
北アイルランドは2015年に北欧モデルを採用したが、2019年に政府委託により、法律施行前後の比較研究を行なっている。その報告書では「データセットの傾向分析から、北欧モデルの基本的な主張はいずれも支持されないことが明らかとなった。」(Graham et al., 2019)と述べられている。
さらに直近では、2022年12月にノルウェーの刑法審議会が「刑法:性的自己決定権の保護、刑法改正案第26章」という報告書を公開した。
その中で、売買春について、危害原則からは成人間の合意ある性の売買を犯罪とするのは過剰であり人権問題であるという見解のもと、「当審議会は、成人からの性的サービスの購入を非犯罪化することを勧告する」「倫理的に問題のある行為と、刑罰を科すべきほど否定される行為との区別は重要である。」と述べた上で、次のように続ける。
あくまでも刑法審議会の報告に過ぎないため、ただちに採用される訳ではないが、初期に北欧モデルを導入したノルウェーが離脱する可能性が現実味を帯びてきたという事実は重い。(北欧諸国でもデンマークは検討のうえで最初から採用しなかった点を考えると、「北欧モデル」という名称はもはや適切でなくなるのかもしれない。)
その一方で、HIV被害に苦しむ南アフリカ共和国は、非犯罪化モデルの採用に向けて検討が進んでおり、成立すればニュージーランドとオーストラリアに続く3ヵ国目の売買春の完全非犯罪化モデル国家が生まれる。(ドイツやオランダはライセンス制であり、完全な非犯罪化モデルとは異なるという意見がある。)
日本はどうするべきか?
現在の知見では、北欧モデルは安全上も人権論上も問題が多く、非犯罪化モデルが優れているように思える。予測モデルによれば、非犯罪化した場合、今後10年で33~46%は新規感染が抑えられると言われている(Shannon et al., 2015)。
性と身体に関する自己決定権という人権上の観点はもちろん、(HIVではないが)日本でも性感染症一般が拡大している中、売買春の非犯罪化を検討するのは一つの道であるようには思える。
しかしながら、売買春に関しては特にそうであるが、そもそも文化背景の異なる他国で生まれた制度を「輸入」するのは常に困難が付きまとう。
日本では長きにわたって売春防止法が運用されてきた蓄積がある。表向き売買春が存在するのは望ましくないとしつつも、「売春」を極めて狭く具体的に定義することにより、問題への直面を避けてきた。
日本における「売春」とは「対償を受け、又は受ける約束で、不特定の相手方と性交すること」(なお、性交とは「女性器に男性器を挿入すること」を指す)である。
したがって、性交を伴わない性的サービス(手や口、胸を使う等)は原則として「売春」から外れる上、また性交があったとしても、「性交に対する支払いではなく、好意によるプレゼントである。」「突発的な恋愛感情が生じた具体的な相手との性交であり、不特定の相手ではない。」といった逃げ道が存在する。
むろん、このような認識のもとで、まともな売買春に関する統計データがあるはずもない。セックスワークの当事者は何人いるのか、どういった被害があり、どういった支援を必要としているのか。何もかもが不明である。
ここで急に北欧モデルや非犯罪化モデルを採用しても、前後での比較ができず、結局、当事者を助けたのか余計に苦しめたのか分からないという結果になる。「改正」で事後的に対処しようとしても、その方向性も定まらない。
私自身は、自己決定権の観点から「セックスワーク・イズ・ワーク」に賛成の立場であるが、結果として当事者を苦しめる制度設計になっては本末転倒である。よって、まずは実態に即した「売春」の定義のもと、様々な項目について統計データを取るところから始めるべきである。拙速な「改革」はいつも失敗してきた。そろそろ我々は慎重さを学ぶべきであろう。
以上。
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