やさしい古代魔術：気になるあの子を呪うための性愛呪詛板
1. AΣKION
古代魔術は、お好きですか？
呪縛呪文で相手を操る呪術、星々の動きから運命を知る占星術、卑金属を貴金属へと変える錬金術。
紀元前より実際に行われていた、そんな古代魔術はお好きでしょうか。
厨二病の罹患歴をお持ちの諸兄におかれましては、是と答えて頂けることと思います。
愚問でございましたね。
その古代魔術として有名なもののひとつが、呪詛板。
他の人間や動物に対して影響を及ぼしてもらおうと、超自然的な力を招来するために用意された、たいていが小さくて古いシート状の、文字の刻まれた鉛の薄片。
デイヴィット・R・ジョーダンは、2500年以上も前から行われていた古き呪術をこのように説明しました。
精霊の言葉たる神秘的文言、神と人間とを繋ぐ象徴記号、その他様々な手法をもって呪術師らが対象を意のままに操るための呪縛呪文を刻んだ金属の破片。
彼らはその金属板を釘で貫き、あるいは標的の家に、あるいは冥界におわす神々の聖域に、あるいは死者の霊魂の眠る墓場へ埋めて、人智を超えた存在の力によって呪詛を発動させようしました。
by Gary Lee Todd, Ph.D.. Marked with CC0 1.0.
気になるあの子、気に食わないあいつを呪縛呪文の力を借りて操りたい。
呪詛によって対象を傷付けるのではなく、彼ら彼女らを自分のコントロール下に置くことで目標を達成しようとしたのです。
2. KATAΣKION
例えば紀元前4世紀頃、約2400年前のギリシャで制作された呪詛板の内容がこちら。
我はエウボレス(男性)を、アイネアス(男性)から目を背けさせます。
アイネアスの顔から、その両目から、その口から、その胸(雄っぱい)から、その魂から、そのお尻から、その(勃起した)男性器から、その肛門から、その全身から。
我はエウボレスを、アイネアスから目を背けさせます。
※かっこ部分は筆者による追記
術者はエウボレスの行動を呪縛呪文によって束縛し、思いのままに捻じ曲げて、呪詛の対象であるアイアネスと別れさせようとさせました。
また、術者の性別は明記されていませんが、アイアネスに対し雄っぱいという単語を用いて女性的な視線を向けているため、男性であると推測されます。
つまり、こちらの呪詛板にはエウボレスの恋人であるアイアネスと懇ろな関係になりたいという術者の欲望が刻まれているのです。
嗚呼、泥沼略奪MLの匂い！
登場人物は男性のみですが、古代ギリシャ人にとって恋に性別は関係なく、両性愛が一般的。
異性同士だけではなく同性同士の恋愛も呪詛板においては等しく成就を願われたものでした。
これらの恋愛に関する呪術は性愛呪詛に分類されます。
性愛呪詛にはこのように恋人同士を離婚・離縁させる呪文のほか、恋敵を呪う呪文、恋人の気を引こうとする呪文、果てはヒモ稼業の先細りを願う呪文などもありました。
また、この呪詛には直截な性的表現を含む文面も多く見られます。
お腹とお腹を、太ももと太ももを、陰毛と陰毛を合わせ給え。
古代においても、可愛いあの子とのワンナイトカーニバルを求める御仁は多かったのでしょう。
こと呪詛板においては、2000年以上前の世界を生きた人々の生々しい感情を身近に感じられるものが多く存在していました。
以降、こちらの性愛呪詛板を中心にお話を進めさせて頂きます。
もちろん呪詛板には、この恋愛呪詛以外にも競争相手の失墜を望む競技呪詛板、訴訟を有利に働かせんとする訴訟・政争呪詛板などが存在しました。
けれど、ねえ。
他人様の惚れた腫れたを肴にして飲むお酒ほどおいしいもの、そうありませんでしょう？
下世話で俗物的なお話といえばもう、飲み会の鉄板ネタでございます。
ここからは、めいめいお好きなお飲み物を手にご覧くださいませ。
閑話休題。
3. ΛIΞ
そもそも、呪詛板が発見されたのは19世紀以前のこと。
呪詛を刻み込んで墓地などに隠しておいたはずの呪詛板が考古学者らによって掘り出され、あまつさえ1897年には史料集として編纂されました。
ブリテン島から北アフリカ、メソポタミアからスペインまで様々な土地で1200年もの間行われていた呪術が蒐集され、学術的に詳らかにされてしまったのです。
ちょうど、Twitter(現X)の非公開アカウントのツイート(現post)がおすすめタブに表示されてしまったあのバグに似ていますね。
この騒動によって公開された呟きの内には、いわゆる鍵アカウントに秘めておきたい愚痴や呪詛が多々あったことでしょう。
幸いにしてわたしたち現代人は即座に対応することができましたが、古代の人々は2000年の時を経て流出した呪詛を回収する術を持ちませんでした。
古代の生々しい呪詛の数々は、哀れ研究対象となってしまったのです。
とは言え、その呪詛板の研究が本格的に始まったのはその発見から約100年後のこと。
呪詛板が持つ魔術的要素が当時の学会に好まれなかったことはもちろん、その外見の映えにくさもあり、なかなか研究が進みませんでした。
どの学問においても、研究対象の映えは資金確保のために重要です。
同じ古代呪術でも呪詛を防ぐための護符、特に宝石に防護呪文を刻むような宝石魔術であればInstagramやTiktokできらびやかに映えたのでしょう。
ですが、呪詛板はその多くが掌大の鉛の金属片。
全く映えませんでした。
加えて、呪詛板を研究するには、ギリシャ語・ラテン語を筆頭に様々な言語で、かつスラングと呪術独特の規則を用いて綴られた呪詛を大量に解読する必要が出てきます。
他人様の惚れた腫れたは適量であれば最高の酒の肴、ですが。
古代の人々による精緻な性の描写、たくさんは見てられねえのよ。
男性器が勃起しているとか包皮をかぶっているとか、金属板の限られたスペースにその描写本当に必要でした？
それはともかくとして、呪詛板はInstagram映えしなかったからこそ、盗掘などの被害にあうこともなく、保存状態も良好なまま後世まで残ることとなりました。
4. TETPAΞ
その良好な保存状態によって、金属板に刻まれた図すらも克明に残ったのがこちらの性愛呪詛板。
ジョン・G・ゲイジャー(2015), 古代世界の呪詛板と呪縛呪文, 京都大学学術出版会(p124)
左から2つ目の図は、口付けているふたりの人物でしょうか。
この呪詛板にももちろん、愛と性欲とを乗せた性愛呪詛が刻まれていました。
エウスの娘テオドティスよ、我はお前を呪縛する、(中略)
そうしてお前がただ我、ヘルミタリスの息子アンモニオン、を除き、他の誰とも寝ず、性交せず、肛門性交せず、口唇性交せず、他の誰とも悦楽を味わうことのないように。(中略)
また彼女がヘルミタリスの息子アンモニオンに隷属し、従順で、熱く欲し、彼を求めて空を飛ぶように。
また彼女の人生中に繰り返される性交において常に、彼女の太ももを彼の太ももの近くへ、また彼女の生殖器を彼の生殖器の近くへと持ち来たれ。(後略)
術者のアンモニオンが望むのは、テオドティスが自分だけを愛し、自分だけを従順に求め、そうして以後自分以外の誰とも一切の性的関係を持たないこと。
彼女の何もかもを独り占めして、そのうえで一方的に熱く求められたい。
さすがに欲に正直過ぎるんだわ。
性愛呪詛には往々にして、術者に都合の良い妄想や欲望が多分に含まれていました。
例えば、紀元後3世紀の北アフリカ。
ある男性を愛した女性術者が呪術によって彼を誘惑し、夜も眠れない程の自分への愛に苦しませようとしただとか。
あるいは、紀元後2世紀のエジプト。
ある人妻へ恋をした男性術者が神秘的文言の力を借りて対象の夫妻に諍いを引き起こし、彼女を性的に略奪しようとしただとか。
古今東西、人間の欲は尽きぬものです。
5. ΔAMNAMENEYΣ
では、これらの性愛呪詛板、効果の程はどうだったのでしょうか。
古代の人々は金属板に刻まれた呪詛が対象をコントロールする呪縛呪文たり得ると信じました。
呪詛が対象へ何らかの効果をもたらすと考えたからこそ、自身の愛と性欲を赤裸々に呪詛板へ綴ったのです。
about the theft of a Vilbia" by -JvL-. Licensed under CC BY 2.0.
この呪詛自体が対象となった人間に実際に影響を及ぼしたかどうかは、記録が残っていないため定かではありません。
ですが、少なくとも術者が自分の感情を性愛呪詛という形で綴り、可視化することは、自身の中で荒れ狂う感情を制御することに繋がりました。
愛と欲望、劣情というまるで呪いの様に自らを苛んだ感情から、自分本来の冷静さを取り戻す。
呪詛板の製作を行うという行為自体から、精神的な満足感を得る。
それが性愛呪詛板の持つ効果でした。
これはてるてる坊主に似ていますね。
わたしたち現代人もてるてる坊主を作って晴天を祈りますが、ティッシュや布の端切れを丸めたものが実際に天候を操作するのだと、どの程度本気で考えているでしょうか。
けれど、明日に楽しみを控えてなお曇りがちな空に居ても立ってもいられなくて、伝統的な晴れ乞いの呪いを行うのです。
呪術師へ性愛呪詛版の作成を依頼した古代の人々も、きっと同じだったのでしょう。
胸をかきむしるような彼もしくは彼女への愛、その身体を自分だけのものにしてしまいたいという欲望。
そのような、ひとりで抱えているには少々重い感情。
それらと向き合い、何とか折り合いをつけて渡り合うための手段として、古代の人々は性愛呪詛板を選択しました。
今のわたしたちであれば、もしかするとTwitterの非公開アカウントを選択するのかも知れませんね。
どうにも持て余す気持ちを非公開の呟きに刻んだ呪詛としてインターネットの中へ埋め、自身の感情と渡り合うのでしょう。
Licensed under CC BY 2.0.
6. AIΣION
性愛呪詛板を含めた呪詛板とは、はるか昔の非科学的な呪術である。
つい最近まではそのように主張する研究者もいましたが、実のところ、わたしたちにとって呪詛はそう縁遠いものでもないのかも知れません。
ひとりでは抱え切れない愛や欲望という強い感情に対し、古代の人々は金属板に性愛呪詛を刻み、現代のわたしたちはTwitterに呟く。
自分の感情と上手く折り合いを付けてゆくという点では、彼らもわたしたちもそう変わらないのでしょう。
もしかするとわたしたちのそんな非公開ツイートも、1000年後の未来には研究対象となって仕舞うのかも知れません。
少々面映ゆく、それからSNSの設定を見直さねばという強い気持ちに駆られますね。
ここまでお付き合い頂き、本当にありがとうございました。
小見出しのギリシャ文字を繋げて頂くと神秘的文言の一種、防御力上昇の護符にも刻まれた呪文になります。
性愛呪詛を掛けられた際には是非ご活用くださいませ。
AΣKION KATAΣKION ΛIΞ TETPAΞ ΔAMNAMENEYΣ AIΣION
参考文献・資料
・ジョン・G・ゲイジャー(志内一興 訳)(2015), 古代世界の呪詛板と呪縛呪文, 京都大学学術出版会
・藤村シシン(2015), 古代ギリシャのリアル, 実業之日本社
・藤村シシン(2020), 古代ギリシャ・ローマ魔術史 第2回 闇の魔術とその防衛術, 青山NHK講座
・藤村シシン(2020), 古代ギリシャ・ローマ魔術史 第3回 闇の魔術とその防衛術、魔術としての占星術・錬金術, 横浜NHK講座
・草野巧(2015), 図説 魔術の歴史, 新紀元社
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