見出し画像

しっくりくる参加(上牧晏奈)

こんにちは。手探りの準備メンバーの上牧晏奈です。やりたいことができたのでその概要をまとめます。「しっくりくる参加」というプロジェクト?です。

参加にまつわる言葉たち

参加 する/しない/できる/できない/したい/したくない/すればよかった/しなければよかった/を強要される/を断られる/をキャンセルする、参加者、参加賞、参加費、参加条件、飛び込み参加、途中参加…

参加をしてみる、考える、脚本を書く

①上牧自身が参加する

・演劇や表現にまつわるワークショップ
・ダンス教室
・短歌の歌会
・読書会
・地域のサークル(手芸、料理など)

約束
・参加したい気持ちがあるものに限る。リサーチのためだけに参加しない。
・家から近い、アクセスが良い(自分の暮らしを守るため)
・なるべく安い(自分の暮らしを守るため)
・頻度→週1程度
・参加の振り返りをnote上で行う。

②参加について考える

???どうやってやろう???

③参加について脚本を書く

わたしは脚本家なので!
いつまで?長さは?舞台用?映像用?書いたものはどうする?
いろいろ決めてません。

ということをやってみようと考えています。

今思ってること

 手探りの準備という企画に参加する中で、知らず知らずのうちに、何かを主催しなければいけないという焦りが自分の中に生まれていました。主催するの苦手なのに。友だちと約束をするのも苦手なのに。主催にこだわることはすこやかではないと閃きました。
 ぴん(ひらめきの音)。参加をしてみよう。
 3年くらい前、気分の落ち込みがひどく、かなりの時間を家の中で、ベッドの上で過ごしている時期がありました。「わたしは社会に参加できていない」とうなだれていました。そんなに落ち込んでいない今改めて考えると、その「社会」や「参加」という言葉が指すものはあまりに曖昧でした。「参加できていない」と思うということは、どこかに「参加できている人」が存在して、参加の状態になるための「条件」の存在を認めることです。その「条件」が当時のわたしの中にはなんとなく存在していたのだと思います。そうやってわたしがわたしの中で作り上げた「条件」は、その「条件」を満たせないわたしではない誰かもふるい落とします。ありもしない、適切でない、高すぎる、あるんだとしたら壊した方がいい「参加条件」で自分や会ったことのない誰かを傷つけていました。
 ちょっと話はとんで🦉
 3年間くらい、療育という職種のアルバイトをしていました。療育は障がいがあると診断されたお子さんや、診断がなくても生活や学習に何らかの困りごとがあるお子さんの発達を支援するお仕事です。困りごととしてよく挙げられるものの一つに、集団での活動に「参加できない」ことがありました。活動の最中に部屋を飛び出して行ってしまう、順番を待っていることが難しい、活動を拒否する、ほかの遊びをしているなど、参加できなさはそれぞれです。それらが課題として上がったとき、わたしは3つくらいのことを考えます。まず、参加のための環境を整えること。おもちゃの棚に布をかけて視覚からの情報を減らしたり、ルールの説明を工夫したり(分からないことをやるのはこわい)、順番を待つ場所と活動をする場所を明確にしたり、活動の難易度や内容を調整したり、などなど考えます。2つ目は、参加できたとする基準を考え直すこと。おもちゃを一つ持って順番を待つのをOKにする、スタッフの膝の上に座って順番を待つのをOKにする、ちょっとやってみるも参加に含める、お友だちがやっているのを見るのも参加に含める、その部屋で一緒に過ごしているということも参加に含める、などなどそのお子さんに合った参加の基準を考えます。最後に、その活動への参加がそのお子さんにとって必要なのかを考えます。集団で活動することの前に、スタッフとマンツーマンで取り組んだほうがいい活動があるのではないかと考えたり、運動会の練習で疲れている、兄弟が生まれて家庭がバタバタしているなどの調子を考慮したり、参加以前に必要なことに重心を置く考え方です。
 参加はそれぞれだぜ。
 改めて、参加って流動的で、仕組み次第で、考え方次第なところがある(ところしかない、のでは?言い過ぎ?)なー、と思っています。別に参加をしなくったっていいし。この企画ではそんなことをもにょもにょ考えます。

 参加について考えることが、わたしやわたしたちのすこやかな生活の助けになったらいいな。

はじまりはじまり
ヘッダーに描いてあるのはやどかり


上牧晏奈

参加のメモ(これから増えていく)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?