あさま山荘事件から50年が経ったそうで…。
もう半世紀が過ぎたのだな…と言うか…オイラが産まれて直ぐに起こった事件、とも言えるのだが…。
何が彼等を狂気・凶行に駆り立てたのだろうか、と言う部分で…。
“久能さんは18年後、フリージャーナリストに転身し、関係者100人以上に取材。出所した元メンバーは反省を口にしたといい、「根本には、『人の役に立ちたい』という思いがあったのではないか」と感じたという。
若者たちが道を誤った理由について、久能さんは「当時の社会の閉塞(へいそく)感が、『政治や民主主義では世の中は変わらない』と思い込ませてしまったのではないか」と考えている。
現場を取材した1人として、こう訴える。
「暴力ではなく、市民の声で社会は変えられる。そう思える日本であり続けることが、第二のあさま山荘事件を起こさないために必要なのだと思います」”
と或るけども…オイラはコレには如何にも賛同出来無いのですよねェ…。
本当に彼等は“人の役に立ちたい”と思ったのだろうか?と…。
当時の“閉塞感”とやらが、彼等の希望・想い(?)とやらを踏み躙り、暴力へと突き進ませたのだろうか?と…。
抑もの話、閉塞感とは言うが、当時の日本に閉塞感は存在したのだろうか?と言う疑問は在る訳で…。
何せ、戦後の高度成長期の時代で在る。
寧ろ、閉塞処か、逆に世の中が解放・開通(ソレはもう、色んな意味で)に向かい続けた時期でも在る。
もし、彼等が閉塞感を感じて何ちゃら、と言うので有れば、ソレは世の中が閉塞してたから、では無く、拗らせ続けた選民思想と過剰な自意識を撒き散らして周りを見下し続けて行くうちに、周囲から顰蹙を買い捲って距離を置かれた挙げ句の果てに、固執した己が勝手に閉塞して行っただけ、なのでは無いのか、と…。
人の役に立ちたい、と言う“想い”では無く、“我々が愚衆を啓蒙して解放し、共産主義の名の下にプロレタリア革命を何ちゃら”と言う“勝手な思い込みと使命感”にのめり込み、拗らせて発狂し続けた挙げ句の果て、でしか無いのでは?と…。
個人的な“セイギ”を暴走させ、“セカイ”を救う筈が、逆にそんな“世の中”を全て“敵に回す”様な愚を繰り返す内に、行き詰まり、身内にも外界にも牙を剥け壊し続ける…所詮はそう言う話でしか無かったのではないのか?と…。
“暴力では無く、市民の声で社会は変えられる、そう思える日本で在り続ける事が、第二のあさま山荘を起こさない為に必要”とは言うが、抑もの話、残念だが、彼等は根本から“話を聞く気など無い”のでは無いのか?と。
だからこそ“暴力革命”を今でも彼等(新左翼)は正当化してるし、盲信してるのでは無いのか、と…。
あさま山荘から50年の月日が流れた…。
けども、アレから新左翼(サヨク)の連中が“何かを学び取った・何かを感じた”と言う事は無いのだろう事は、残念ながら、今現在の彼等の主義主張や思想信条、言動に立ち振る舞いを見てても、良く解って仕舞う訳で、ね…。
寧ろ、あさま山荘だけで無く、山岳ベース事件すら、彼等は神格化してる嫌いはある…。
そう言う意味では、オウム真理教に対するアーレフみたいなモンで…と言うか…みたいでは無く“そのモノ”と言った方が良いのかな…。
兎角、アレから50年は経ったけども、奴等は何にも変わりませんでした、と言うオチで締めたいと思います…。
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