マライ・メントライン氏のツイートの奥深さよ。

いや、ドイツ系のツイッタラーと言うか、知識人系でオイラがホンマに好きな人なんやけども、ね、彼女は…。

ソレを差し引いても、だ…→

“8月15日、 「あそこで終戦しなかったらどうなったか」という話はそこそこ聞きますけど、逆に1941年、 「あそこで開戦しなかったらどうなったか」という話も何気に重要かもしれない。しかしそこで議論のまとめ役に求められる知的技量はかなり高度だ。 #終戦の日

と言うツイートはホンマに痺れるし、コレこそが知的とも言えるし、知識人と言うても良いのではないのか、と…。

戦後、コレを問うた知識人て、殆ど居らんかったんでは無いのか、と…。

そして、真剣に考えた事が在る人間すら…。

戦争は悲惨だ、怖い、酷い、許せない、なんぞ如何でも良ェねん、と。

そんなモン、知らん人間なんぞ居らん。

皆、解ってんねん。

と言うか、ドヤ顔して争いの醜さや悲惨さを訴えてる様な人間が、手前の主張に反する様な人間を潰したり殺したり脅したり争ったり、と言う事が罷り通る時点で、戦争の悲惨さにしろ何にしろを訴えた処で何の説得力も産まれんし、問題提起にも成らん訳でな。

人間の愚かさに向き合うだ何だもクソも、ソレが人間で在る以上、愚かさなんぞ消えんのよ。

故に、争いの種は尽きず、でな。

ソレよりも、其の争いと言うモンを多角的に観て考える方が遥かに有意義かつ重要でさ。

単に“後出しジャンケン”的な結果論では無く、では、手前があの時代とかに居た場合、とかを想定し、其の時代の常識なり何なりを加味しながら色々と思考する、とかの方が、所謂“ヘイワウンドウ”とか言うカルト・オカルトよか遥かに重要や、と。

然しアレだ…日本の痴識人の口から、こう言う問い掛けが出て来ないのを観るに…ホンマに日本では知を自称する痴ばかり、なのだなァ…と、溜息と苦笑いしか出て来ませんわwww #超苦笑

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?