見出し画像

人情あふれる社会は生きやすいのか?【ドキュメント72時間】

さらば築地市場 いつもの立ち食いそば屋で

今回は、閉鎖直前の築地市場近くのそば屋が舞台。築地で働くちょっと強面のお兄さんたちが主な登場人物。

築地の人間模様から「人のつながり」「人情」なんて言葉がぴったりあてはまる社会の風景が写し出される。私は、それをとても温かくて魅力的に感じる一方で、縦横に張り巡らされたしがらみの苦しさも感じた。

「人のつながり」の魅力と苦しさそんなことを考えながら…築地の72時間を観察した。さてそれでは本編を見ていこう。

一口に築地で働く人といっても実に様々な仕事があることがわかる。市場は魚を配達する人、市場からお店へ配達する人、様々な専門性を持った仲卸業者、荷物預かりの人、もちろん市場へ買い付けに来る飲食店の方々もいる。

「築地へ観光へ行く」なんていくことがいつ頃から生まれたのかわからないが、昔はそんなことなかったそう。「築地のイメージは、ちょっと怖くて、汚い、臭い。親がここで働いていると友達に言えなかった」市場で卵焼屋を営む40代くらいの男性は言う。彼は子どものときは嫌だった築地で、築地のTシャツを着て働いている。世間のイメージと共に、彼の中での築地も変化していったのだろうか。

観察を続けると、外からのイメージは置いておけば、実のところは「ちょっと怖くて…」という昔とあまり変わらないのではないだろうかという気持ちになってくる。働く人たちは、ザ・肉体労働者という感じの汗臭い強面の兄さんたち。その格好はゴムのエプロンに、ゴム長、ねじりはちまち巻き。魚扱ってるわけだから、そりゃ魚臭い、生臭いだろう。昼も夜もなく働き、隙間時間を見つけて立ち食いそばを数分でかきこむ。これが実際の築地だ。

ここではじめの話とつながるのだが、私が最も怖いと感じるのは、この強面のお兄さんたちの縦横の濃密な人間関係である。「1日十何時間もここにいれば、みんな顔見知りだよ」と配送業の男性は話す。そば屋の前で次々に現れる知り合いと声をかけあっている。

そこに、この72時間の中で最も印象的な人と言っていいだろう、大きな声を出し威勢のいいねじりはちまきの兄さんが現れた。ねじりはちまきを締めた頭はつるっぱげで、おでこのちょっと上のちょび髭みたいな髪の毛が残っている。「こないだもNHK来たぞ」と撮影班に大きな声をかける。ここは俺の家だと言わんばかりのわが物顔である。

それもそのはず、この男性16才から36年ここで働いているというマグロの仲卸。マグロ解体の職人技を持つ、その腕前は相当なものなんだろう。昔を思い出しながら「やり直しやり直しで何度も怒られたけど。今思えば感謝だよな。怒られるほうが好きなんだよ構ってもらってるようで」だって…。

彼は、ここの強烈な縦関係に放り込まれ、そこで技術と社会で生きていくということを教えられたのだ。怒られることで「目をかけてもらっている」「気にしてもらっている」、怒る人は自分のことを一番考えてくれている、ありがたい、という考え方である。まさに「任侠の世界」ではないか…。今じゃ「パワハラ」だなんだで即刻アウトなやつだ。

そしてこのあとにそば屋に現れたお兄さんが極めつけだ。明らかに昔はそうとうやんちゃしたんだろうな…という40代くらいの男性。明らかにとは、その歩き方と口調、目付きだ。ちょっと肩揺らして店に入ってくる感じわかりますよね。謎のヤンキーあるき。そしてちょっと下から上目遣いで人を見て「おれはよぉ~」って感じのやつ。そう、それ、あなたが想像した元ヤンキー40段半ば男性。

この男性、父親が働いていた会社に「せがれならいいよ」と雇ってもらったそうだ。「築地は、すべての傷をうけいれてくれるところ。傷持ってるやつほど生き生きするんだよ。まともな人情はこういうことなんだと教えてもらった。」とのこと。この話ちょっと納得。そうなんだよ、学校とかサラリーマン社会になじめないやつを、持ち前の人情でどんなやつでも受け入れてやるよという太っ腹な社会が、築地なんだろうと。なぜなら、ここにいる大人たちがかつてそうだったからなんだろう。さきほどの男性の言葉を借りるならば、世間で「構ってもらえなかった」けど、ここなら「構ってもらえた」っていうことなんじゃないだろうか。

傷をもった若者を受け入れ育てる「縦の人間関係」があって、同じ築地で働くもの同士の「横の関係」が強くあって、まさに人情、人のつながり、いまの社会にもっとも足りない必要なものがあふれているのがここ築地である!ということなのだ。はい、これまとめ。この先おまけ。

この築地の人間模様を見ていて感じるのは、田舎社会によく似ているということだ。生まれ育ったところにずっと残って働いているとこんな感じだ。ずっと地元に残っているのは、まさにやんちゃしてたやつ。縦横の人間関係によってしばられながらも、その中で生かしてもらっているような感じだ。

なんだかこういう生き方も悪くないと思う時は確かにある。ただ、横関係になめられないように悪ぶる、縦関係にはかわいがられるよう忠誠を誓う、その感じが自分はあまり好きではない。

私のようにそういう人間関係、とくに縦関係を嫌う人間は外に出ていく。おっかなくて地元になんていられない。もっと自由に付き合いたい人間と付き合える社会へ逃亡するのだ。一般的にそういう社会は、つながりのない、孤独な社会と言われたりもするわけだが。

あなたは、どっちがいいだろうか?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?