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「仕方ない」で賛成しない

先週から大学院の授業が始まった。これを書いている今も、授業が終わったばかりである。

今日の授業で一つ気づいたことがある。忘れてはいけないことだと思うので、自分への備忘録として書いておく。

オンラインを利用した授業で、2コマ分、3時間にわたる授業なのだが、不思議と「長いなー」と感じない。内容が興味のある分野だということももちろんあるが、先生が毎回授業の途中で発言の時間を取ってくれることが大きいと思う。

今回の発言テーマは、「増税に賛成か、反対か」

私は税金には詳しくないし、専門的なことはさっぱりわからない。でも、消費税やら所得税やら自分の生活に密接に関わっている部分なので、意見は言おうと思った。

私の結論は、「増税やむなし」である。
言い換えれば、「増税しても仕方ない」である。
ここで注意するべきは、私が「YES(増税賛成)」側から意見を述べたことだ。

増税は仕方ないが、その前にやるべきことがある。
・今の財政に無駄はないのか?(削減できるところはないのか)
・増税分を何に使うのか?未来への投資として教育費や子どもの福祉予算に当てられるのであればOK。ただお金がない、国債返済なのであればNO。
・そもそも増税の目的は?日本はどんな国でありたいのか?重税で知られるデンマークやスウェーデンは福祉国家としてのプライドを感じる。
・そもそも予算について決定力を持つ議会と国民との信頼関係がない。
・消費税ばかり上がると、低所得者にはキツイ。多様な税金があるのだから、累進課税なども上手く組み合わせるべきだ。
・どちらにせよ、人口施策と同じで効果が出るまでに時間がかかるのであれば、早いうちに取り掛かるべきだ。(人の意識改革も必要)

ここまでが、私があげた「賛成」の条件だ。

冷静にみてみよう。
これ、果たして「賛成」か??

いや、これだけ条件があって、「これが全部できたら賛成ね」なんて、今の時点ではゴリゴリの「反対」ではないか。

私に同じようなことが今までなかったか。
きっとめちゃくちゃある。
私は目の前の状況や相手の事情を慮るあまり、当たり障りなく「YES」と言うことが多い。
「NO」と言うことが怖いのだ。
それは自覚している。

そんな時に決まって私が使うのが「仕方ない」だ。

全てにおいて「YES」「NO」の判断を求められるわけではないが、今後自分が「仕方ない」という言葉を使う時には、よくよく気を付けようと思った。
「仕方ない」はよくある。悪いことだとは思っていない。
諦めというよりは、「納得はしてないけど、みんなで決めたから従うよ」的なこともある。

ただ、決断の前段階で意見を自由に出し合う場面では、「仕方ない」の真意は「NO」の場合が多いんじゃないか?ということを自分の頭に叩き込んでおきたい。

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