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note 19 天の岩屋戸(いわと)


須佐之男命の乱暴が益々激しくなり、ついに機織女(はたおりめ)が梭(ひ)で陰部を突いて死んでしまったので、天照大御神は、これを見て恐れおののき、岩戸を開いて中にお隠れてになってしまいました。
そのために、高天原をはじめ葦原中国(地上世界)も、深い暗闇にとざされ、夜ばかりの日が来る日も来る日も続きました。

そうなるとまた、あらゆる悪神(あらぶるかみ)たちのさわぐ声が、五月蠅(さばえ夏の蠅)のごとくにぶんぶんとわき立ち、ありとあらゆる災いがことごとく起こります。

そこで、八百万の神々が、天の安川(あめのやすかわ)の河原におし集まり、高御産巣日神の御子で知恵の神様である思兼神(おもいかねのかみ)に考えさせたところ、いろいろとその手はずを決められました。

まずは常世(とこよ)の長鳴鶏(ながなきどり)を集めて鳴かせます。
天の岩屋戸開きは、長鳴鶏を鳴かせるところから始まります。
暗闇を破るには、音・響きということでしょうか。
20年に一度行われる伊勢神宮の式年遷宮でも、「鶏鳴三声(けいめいさんせい)」という儀式が行われます。「カケコーカケコーカケコー」と鶏の鳴き声が三回唱えられ、その声をはじまりに、神霊が新宮に遷られるのです。

次に、天の安川(あめのやすかわ)の川上にある固い岩を取り、また天の金山(かなやま)の鉄を採って、鍛治師の天津麻羅(あまつまら)という者を探し出し、石斯許理度売命(いしこりどめのみこと)に命じて鏡を作らせました。
また、玉祖命(たまのおやのみこと)には勾玉がたくさんについている長い玉の緒を作らせました。

次に、天児屋命(あめのこやねのみこと)と布刀玉命(ふとだまのみこと)を呼んで、天の香山(かぐやま)の雄鹿(おすしか)の肩骨をそっくり抜き取り、天の香山の朱桜(ははか)の木を取って、雄鹿の肩骨を朱桜の皮で焼いて、占わせました。

そして、天の香山の枝葉の繁った榊を根ごと掘り取って、上の枝には勾玉の玉紐を取り着け、中の枝には鏡をかけ、下の枝には楮(こうぞ)の繊維で織った白い布と麻の糸で織った青い布を付けて垂らしました。

これらの物は、布刀玉命が天照大御神み献る(たてまつる)神聖なお供え物として捧げ持ち、天児屋命は祝福の祝詞を奏上しました。

そして、天手力男神(あめのたぢからをのかみ)が、天の岩屋の戸のわきに隠れて立ちます。

天宇受売命(あめのうずめのみこと)は天の香山のひかげのかづらを襷(たすき)とし、まさきのかづらを髪に結び、天の香山の笹の葉を束ねて手に持ち、天の岩屋の前に桶を伏せて、その上をとんとんと踏みとどろかして、神懸り(かみかがり)つまり神が人に乗り移った時の状態になって、乳房を出し、裳の紐(ものひも)をほと(陰部)が見えるほど垂らしました。

すると、高天原が鳴り響くばかりに、八百万の神々が、どっと声をそろえて笑われるのでした。

そこで、この声に天照大御神は不思議に思われて、岩屋戸の戸を細目に開けて中から、
「私がここに隠れているので、おのずから高天原は暗く、葦原中国もすべて暗闇であろうに、どういうわけで、天宇受売が踊ったり、神々がみな笑ったりいるのですか?」
と言われました。

これに対して、天宇受売命は、
「あなた様にもまさって貴い神がいらっしゃいますので、みなで大喜びで笑いさわいでいるのでございます」
と、お答えしました。

こう申し上げているうちに、天児屋命と布刀玉命が鏡を差し出して天照大御神にお見せすると、天照大御神は鏡に映った自分の姿を見て、いよいよ不思議にお思いになり、思わず、岩戸から少し出て、鏡をのぞき見られました。
その時、岩戸のわきに隠れていた天手力男神が、すかさす天照大御神を手を取って外へお引き出し申し上げました。
そして、布刀玉命がすぐ注連縄を後ろの岩屋戸に張り渡して、
「ここより内には、二度とお入りにならないようにお願いします」
と申し上げました。

このようにして天照大御神が再びお出ましになると、高天原も葦原中国も、自然ともとのように太陽が輝き、明るくなったのです。

そこで八百万の神々が相談されて、須佐之男命の罪穢れを祓うために、多くの台の上にたくさんの品物を提出させ、また髭と手足の爪を切って、高天原から追放されました。

この天の岩屋戸の段は、今日の神社祭祀の起源と言われています。
次回はこのことについて、お話ししたいと思います。

今回はここまでです。

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