陣内 秀信『東京の空間人類学』(ちくま学芸文庫、1992年)を読みました。

実家の本棚に眠っていた本を読んでみました。江戸と東京が都市として連続性を持つことが議論されています。江戸時代から武士の屋敷には塀が巡らされていたというのは意外な感じがしますがそれにより中庭が確保され、東京が今でも緑の多い都市になっているという議論にはなるほどと思いました。ソフトである都市文化とハードの都市計画の結びつきが具体的にわかるのは壮快です。かつての東京はベネチアに比する水都だったのですね。東京生まれ東京育ちの私ですがそういう感覚はありませんでした。それは私が主に東京の西側の内陸部で暮らしていたからでしょうか?
本書より…
「君主は南面する」という思想、陽光に向かって建物を開きたいという願望がそこには見られ、古来培われてきた日本人の住いに対する志向性が明確に現れていると思われる。
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こうした街路志向は、近代の町づくりにもすばやく対応し、後には、表だけ最新流行の様式を装ったいわゆる看板建築を生むことになったし、ある意味では、今日のサインの氾濫、めまぐるしく変貌するファッショナブルな都市の表層とも一脈通じているといえよう。日本における真の都市型の建築は町人の文化から生まれたのである。
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それに対し、生産や流通などの都市活動に参加しない武士階級は、土地や自然との結びつきをもった独立性の高い閑静な<屋敷を構える>ことを志向した。こうして、ヨーロッパなら田園の中の別荘建築か、あるいは近代の郊外住宅にしか登場しないような庭付きの独立住宅が、日本では都市の中央部にも広範に形成されたのである。江戸が大きな田園都市であったといわれるゆえんもそこにある。このような伝統的住意識が、狭くとも庭のある独立住宅に住みたい、という現代人の願望にまでつながっていることはいうまでもない。

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