森田 創『洲崎球場のポール際 プロ野球の「聖地」に輝いた一瞬の光』(講談社、2014年)を読みました。

当時、職業野球と揶揄されたプロ野球草創期に中心的な役割を果たした球場が今の木場、東陽町のあたりにありました。洲崎球場と呼ばれたのですがわずか2年ほどで役割を終えます。なぜかプロ野球史にも記録が残っていない謎の球場と沢村栄治、スタルヒン、景浦将などの伝説的な選手の活躍が克明に描かれている快著です。そしてこうした選手たちが戦争に出ていかざるを得なかった悲劇…巨人-阪神の伝統の一戦の始まりは弱小巨人軍の地獄のトレーニングから始まったなど元野球少年には垂涎のトピック満載です。研究者的な執念と緻密な分析で歴史に埋もれたプロ野球の誕生を蘇らせたインテリジェンスに敬意を抱きました。

本書より…

だからこそ、この舶来のスポーツは封建的な日本社会で急速に受け入れられた。また学生野球の父・飛田穂洲の「一球入魂」という言葉に象徴される、武士道に基づく猛練習によって人格が形成されるとする考えがアマチュア野球を瞬く間に支配した。
-----
下町で急速に部数を伸ばしたのは、読売新聞だった。「読売」とは江戸時代に、文字の読めない人に瓦版の内容を読み聞かせた人のことをさす。誰にでも分かりやすく面白いと思わせる内容が、読売新聞の身上であった。
-----
しかし、初代王者を賭けた両チームの死闘は、いかがわしい印象のあったプロ野球の真の価値を、多くの人に認めさせるきっかけとなった。技術向上と野球人としての誇りをかけて、全身全霊でプレーする選手たち。母校のためでもない、街のためでもない、野球のための野球という究極の真剣勝負が、プロ野球ならではの魅力であった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?