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アニメを最大限楽しむコツは"視点の使い分け"にある

先日、『聲の形』を視聴した。

個人的には非常に素晴らしい作品だと思ったし、実際に映画興収23億円を突破する大ヒットにもなった。しかし、障がい者やイジメを扱っていることから、批判の声もかなり強かった。

確かに、障がい者やイジメの被害者が批判するのは分かる。『聲の形』はトラウマを与えかねないぐらいショッキングな内容だったし、僕も胸が締め付けられた想いをした。だが、ネット上のコメントを見ていると、ただの批評家が批判しているようだった…。

そもそも、どんなコンテンツにおいても、面白い部分もあれば嫌になる部分もある。視点を切り替えるだけで「面白い!」と評価づけることもできるし、「つまらない!」と評価づけることもできるし、「これは嫌い!」と感想を述べることもできる。

そして『聲の形』は、嫌な部分がとても表に出やすい作品だ。だから多くの人は『聲の形』を視聴して嫌な気持ちになるし、ネガティブなコメントをしてしまう。だが、クオリティに関して言えば間違いなく高評価できるはずだし、うまく言語化することができないアーティスティックな要素も見受けられた。少なくとも、アニメが本当に好きな人は、ほぼ間違いなく『聲の形』に対して高評価していると思う。

アニメを本当に楽しみたいのであれば、視点の使い分けをする必要があると思う。場合によってはバカになってもいい。例えば日常系の萌えアニメなんて、頭をバカにしないと楽しめないはずだ。
『聲の形』の場合、ストーリーが気に食わないんだったら、作画や音楽の使い方に集中する。それだけでもかなり楽しめるはずだ(本当にアニメが好きなら)。

僕はアニメブログを運営しているし、アニメ記事を書くことも多い。もちろん批判的なことも書くけれど、基本的には建設的な内容しか書かない。素人目線で「こうすれば、もっといい感じになるんじゃないかなぁ」みたいな感じだ。
そして基本的に、最大限楽しむ努力をするようにしているし、楽しめない時は作品のせいではなく自分のせいにしている。
例えば僕は『まどマギ』に、思ったよりもハマれなかった(とはいっても普通に好き。"思ったよりも"というだけ)。けれども、それは『まどマギ』が悪いのではなく、『まどマギ』の面白さを見出すことが出来なかった僕が悪いのだ。そういう風に考えるようにしている。

だから僕は、アニメを最大限楽しむために、ながら視聴を辞めたし、電車の中で視聴することも辞めた。必ず部屋の中で、そしてなるべく高画質で大画面のディスプレイで鑑賞するようにしている。

ということもあり、アニメに対する一方的な批判は、基本的にナンセンスだと思う。もし批判をするのであれば、建設的なコメントを含めるべきだろう。

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