見出し画像

スピリチュアル戦略論

命がけの戦いですから、見えない力も総動員していました。実際どうだったのでしょうか。

崇徳上皇と後白河天皇の争った保元の乱がありました。

画像1

崇徳上皇の陣は東側にありました。その日は東が凶だったのです。
源義朝は気にせず東へ攻め込みましたが大苦戦でした。

その悪い方角を避け、南から迂回し、大活躍したのが平清盛です。

画像3

神仏を恐れないというイメージのある信長も吉凶は大切にしていました。

画像3

護摩を炊いて出陣、栗を食べて出陣、地面に置いた魔除の刃をまたいで城門から出るなどという験担ぎも行われていました。

火の年の生まれだった場合は、水を黒い甲冑を着けないなどの五行論に即した対応も行っていました。

旗竿が折れたため縁起が悪いと合戦を中止し引き上げるということも行われていたほどです。

勇ましい武士も実際にはかなり見えない力を頼りにしていたということです。むしろ神経質なくらい重視していたと言えるでしょう。

その流れは江戸時代にも引き継がれていきました。

見えない世界を生かし、戦略が練られていたのは昔からの事実です。
今の時代はそういうものと切り離そうとしていますが、とても重要だったことがお分かりいただけたでしょう。今までうまくいかなかったということが案外こういうものの視点で見るとマイナスなことが沢山あったからというオチも多いです。
皆さまも基本から学んでみるのはいかがでしょうか。


これからも良い記事を書いていきます。