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2011/3 ウィーン

2011年3月、毎年オーストリアのウィーンで開催されるECR(欧州放射線学会)に参加できることになった。前年11月のエクサンプロバンス以来の欧州出張で、4か月後に再度ヨーロッパを訪れることができるなんてラッキーであった。この時の出張は、上司(といっても同年齢)と一緒にウィーンで学会に参加した後、単独でフランスに移動し、日本人医師と合流して、エクサプロバンスとマルセイユの病院訪問をすることになっていた。12日間の出張で、海外経験の少ない自分にとっては、最も長期間の海外行きであった。

上司はウィーン往復なのでオーストリア航空の直行便であったが、自分はフランスにも行くのでミュンヘン乗り換えのルフトハンザで行くことになった。

携行カメラは相変わらずコンデジのIXY DIGITAL 920ISであった。

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機材はA340で、日本の航空会社では使用されていない。この飛行機は面白くて、客室の床下にトイレがあったのが忘れられない。トイレに行くのに階段を下りていくのだ。

長時間の飛行なので、トイレに行くと地下のスペースで数人が脚を伸ばしたり体操をしていた…。

ミュンヘン空港ではウィーン行きの便に乗り換える必要があり、時間は55分しかなかった。国際線からEU内の便への乗り換えだからなのか、手荷物検査があったのだが、これがものすごい長蛇の列で、検査を通過できたのが乗り換え便の出発時間であった。半分諦めつつ搭乗口までダッシュすると、何と自分の到着を待ってくれていた。ルフトハンザのCAが大声で「Mr. Yoshida? Mr. Yoshida?」と叫んでいる。飛行機に乗るや否やドアが閉じられた。機体中央の通路を自分の席まで向かうと、乗客たちの刺すような冷たい視線をいっぱい浴びた。「この東洋人のせいで、出発が遅れたじゃねぇか」という心の声がたくさん聞こえてきた。機内はほとんど白人で、日本人はおろか東洋人さえいないようだった。

何とかウィーン空港に到着し、ベンツのタクシーでホテルに向かった。ミュヘン空港ではホント危なかったなぁ、と思いながら窓の外を眺めているうちにホテルに到着した。ホテルでは上司が待ってくれていた。

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例により、ホテルの部屋を撮影。明朝からお仕事となる。

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ホテルはウィーン南駅跡(現在のウィーン中央駅)の近くであった。地下鉄の駅に向かう途中に撮影。オーストリア・センターとの往復となる。仕事でのイベントは夜の会食の含めいろいろあったが、ここでは割愛。

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初日の夜は、ビジネスをしているスウェーデンの会社のディナーがあった。不思議なことに写真が1枚もない。写真なんか撮る人はいなくて、撮る雰囲気でもなかったし、撮らなかったのだろう。2日目は上司と夜の街に出た。

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Karlsplatz駅で降りる。国立オペラ座。音楽の都…。

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夜のオペラ座はなんと華麗なことか…。ただただ見とれる。

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ケルントナー通りでは、ストリートミュージシャンがいる。何を演奏していたかは全く記憶にない…。

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ホテルザッハー。滞在中にザッハトルテを食べに来なければと誓う。

3日目の夜は、スウェーデンの会社の日本の代表をしているYさんとディナーの約束であった。その前にオペラ座を観に行こうという話になった。この日の演目はドンジョバンニであった。この方はドイツ語がペラペラで、一番安い最上階の席のチケットを買って(おそらく自力でチケットは買えなかったであろう)、雰囲気だけを味わうことになった。

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外側もすごいが内部もすごい。

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最上階から座席を望む。

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食事をするので雰囲気だけ味わって出ることにする。

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シュニッツェル(ウィーン風カツレツ)

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4日目の午前中で仕事は終了し、午後から観光…。まずはホテルの近くのベルヴェデーレ宮殿まで歩いていく。Yさんによると、画家グスタフ・クリムトの代表作「接吻」があるので、是非行った方がよいという話であった。この時までグスタフ・クリムトも「接吻」も知らなかったのだが…。

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ベルヴェデーレ宮殿。美しい建物だ。手前の池が凍っている。かなりの寒さだった記憶がある。

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周りの街並みも美しい。

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宮殿から反対側を見る。夏に来ると緑が映えてもっと美しいのだろう。

クリムトの接吻やユディトⅠは、とても空いている状態で観ることができた。2019年、上野・東京都美術館のクリムト展でユディトⅠとは再会することができた。

途中にある名所に寄りながら、街の中心部に向かって歩き始める。

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ソビエト戦勝記念碑。

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何か日本にはない街並み…。

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ウィーンの旧市街を取り囲む、リンク大通りまで来た…。

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リンクの内側に入ると左に国立オペラ座、左奥にホテルザッハーが見える。

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ホーフブルク王宮。ハプスブルグ家の宮殿だ…。近くのカフェDemelにザッハトルテを食べるために向かう。

Demelはホテルザッハーと過去に揉めて、法廷闘争の末、結局両方でザッハトルテを販売する権利が認められたという話が有名で、やはりウィーンに来たからには現地で両方食べてみようという話になったのだった。

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これがデメルのザッハトルテ。他にもおいしそうなトルテがいっぱいあって、これは長期で滞在しないと色々楽しめないなぁと思ったのだった。

翌日は1日観光に充ててしまった。朝から地下鉄でシェーンブルン宮殿に向かう。

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シェーンブルン駅。何かおしゃれだ。

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シェーンブルン宮殿に向かって歩く。3月のウィーンはとても寒い。写真ではわからないがこの時間帯はたぶんまだ氷点下で、自転車に乗っているのが信じられない…。

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着いた。朝一番なのでまだ空いている。

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28mm相当の広角では入りきらないのでパノラマで撮影する。つなぎ目はご容赦…。

中は素晴らしかった記憶しかない(もう結構前なので忘れている)。マリー・アントワネットの部屋とかあって、何だか歴史に圧倒された。ハプスブルグ家の勉強をちゃんとして訪れるべきであった。でも仕事で来て、時間を作って観光しているので、仕事の準備で精一杯なのが実際なのだが…。

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庭園の小高い丘にあるグロリエッテ。

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グロリエッテから宮殿を見下ろす。右後方にシュテファン大聖堂が見える。

再び地下鉄に乗り、街の中央に戻る。ホテルザッハーのザッハトルテを食べなければ…。

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カフェザッハーに入り、ザッハトルテをオーダーする。

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これがオリジナルザッハトルテ…。Demelの方が好きかな…。

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観光馬車…。ここからはひたすら歩いて建物を見る。不運なことにこの日は月曜日で大抵の観光名所はお休みで入ることができなかった。

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ウィーン自然史博物館

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ミュージアムクォーター

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ミュージアムクォーターの男子トイレ。隣との仕切板がなく、まるで流しのよう。ここで用を足すのは少々難儀であった。なかなか出ないのである…。

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市電。古い車両は趣がある。以前デュッセルドルフで見た車両とよく似ている。

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市電が可愛い…。

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国会議事堂

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ウィーン市庁舎

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ブルク劇場

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ヴォティーフ教会

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パスクァラティハウス(ベートーベン記念館)。なんとベートーベンが実際に住んでいた場所で、外観は普通の古いマンションだが、今はベートーベン記念館となっている。残念ながら休館日。もう二度と来ることはない気がする。

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何故か歩道に有料の体重計がある。これで体重を計る人がいるのだろうか…。

再び中心部に戻り、シュテファン大聖堂に向かう。これまで夕食後に前を通ったりしたのだが、明るい時に近くで見るとやはりすごい。

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12世紀に建築が始まったというから、日本だと平安時代か…。

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モーツアルトの結婚式が行われたとか…。

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いいカメラが必要であった…。

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エレベーターで上に上がる。ウィーンの街並み…。

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観光馬車。馬の糞があちこちに転がっていて結構臭い。でも昔は当たり前だったはずだ。

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1359年に136mの南塔が完成したという。日本だと南北朝時代か…。レベルが違う…。

夕食まではお土産ショッピングタイム。

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スワロフスキーはオーストリアのブランド。いろいろ買い込む。当時マンモグラフィの仕事をしていたので、自分用にはスーツに付けられるピンクリボンのバッジを購入、誰よりも目立てる…。

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翌日はウィーンを立つ日。上司は帰国、自分は単独フランスに行くのでまずはミュンヘンに向かう。それにしてもウィーンは素晴らしい街であった。もっと居たいが仕事で来ているのでまあ、ぜいたくは言えない。

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ミュンヘン行きに乗る日本人は他にはいなかった…。

続く…。

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