役に立たない楽しいものを
久しぶりに書いてみたくなりました。
言葉にしないとこの気持ちを忘れそうなので
世の中を見渡すと役に立つもので溢れているなぁと感じます。
たとえばスマホ、AI、情報
役に立つ情報はみんなやってくれてるから
わざわざ自分がやる必要もないよなぁと感じているこの頃なわけです。
本業でも仕事してお金というお礼をいただいているわけだから、
少しは役にたってきてんだなと。
もっと役に立とうとするから苦しくなるわけで、
そもそも自分にそんな能力なんてない
卑下してるわけてはなく、悲観的になってるわけでもなく、
冷静に見てる。
飛び抜けた能力を活かしてたら
それなりの人としてやってるだろうけど、
一応ちょっとは人並みにやっていけてるだけでも十分じゃない。
自分に期待を掛けすぎてたんだなぁ
だから苦しくなる
そんな大したやつじゃないのに、
それでいて人並みにやれてるだけでも万々歳
そう思えたらずいぶん気持ちが楽になった。
そしたら、こんな思いが出てきはじめた
役に立たないことも楽しいよなって。
役に立たない楽しいものをやることで、
心が充たされている。
そんな時もあるもんだ。
ジオラマもAIアートも色鉛筆画もそう
すぐに意味だの目的だの捉えようとしがちな自分なんだから
役に立たないことを楽しむという
振り幅が大きいことを積極的にやってみようかと思うようになった
もう既にやってるジオラマづくりも
色鉛筆画もAIアートも
なにか役に立たないかと考えるから
つまんなくなる。
こどもの時に遊びながら
そんなこと考えなかったはず
ケイドロしてると足速くなって健康にもいいから遊ぼう
とは思っていなかった
そんなこと考えてやってるとどうかと思えてくるけど、
大人になったらそんなことばかり考えてた
本当に楽しいこと、
楽しい想い出になってることは、
役に立とうと思ってやってたことじゃなく
ただやりたいからやってたことばかりだ。
秘密基地づくり、
竹細工
キャンプ
割りばしで船作り
自転車で佐世保まで
イカダレース
佐賀バルーンフェスタ
キャンピングカーの旅
カフェ巡り
自転車屋さんの珈琲屋さんに立ち寄り
えんとつ町の踊るハロウィンナイト
ジオラマづくり
庭づくり
色鉛筆画
本当に楽しいことは役に立つ立たないとかと
全く違う次元にあった
それが結果、心を豊かにしてくれていた
役に立たない楽しいことは
実は、
一見役に立たないように見えている楽しいことで
心を豊かにするという役にたっていた
それって一番意味があることだよなって思う
何のために?
なぜやるか?
どんな役に立つか?
やることに対し
ついついそんなことを考えてばかりいたけれど
そんな狭い知見で考えたって大して意味がない
やりたいと思ったことを存分に楽しむ
それをやるだけで楽しいし
結果いい想い出になるし、
それをやってた時のことを思い出すと
楽しいし気分になるし、心が豊かになっている
なぁんだ、そうだったんだね。
それに気付いて良かった。
ありがとう、自分。
役に立つことはみんながやってくれているから
役に立たない楽しいことをやって伝えていこうかな
そう思えたのでした。
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