倉澤興世
泰阜村には小学校のなかに美術館があります。
経緯は泰阜村のホームページのなかの「学校美術館の歩み」を見てください。学校美術館ができた経緯で出てくる言葉『貧すれど貪せず』(貧しいけれども、心は貪しない)の精神は今も受け継がれています。
昔、私は泰阜北小学校に通っていました。2階の展示室が記憶にあります。
平成22年に南にあったもう一つの小学校と統合して、一つの小学校になっています。統合した時に美術館も移動しました。子どもの頃は、なんとも思っていなかった美術品。今になって素晴らしさを感じています。
この美術館に寄贈された作品で、私のなかでも最も目にしているものが倉澤興世「偲」です。通っていた小学校に、ずっとあったからです。
「倉澤興世」を調べたくなったので検索してみました。
泰阜村立学校美術館
公益財団法人八十二文化財団
倉沢興世と「夢と希望」像
JAみなみ信州
日本表象美術協会(日象展)の創立時(1973年3月)の役員
理事のなかに倉澤興世
日本表象美術協会
信毎おでかけガイド
遺志を形に-泰阜で仏教美術展 急逝の横井館長構想で(2020年9月)
信濃毎日新聞
ここに泰阜北中学校があったんだに!そして現在は…?(2020年6月)
長野県産業労働部 営業局
泰阜村の学校美術館関係が多く出てきます。
他に、丸山晩霞、中村不折、菱田春草の姪にあたる菱田きく、菱田春草のおいの菱田武夫、肥後耕寿、熊谷治男、松尾隆康、池上秀畝などの名前も見かけます。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?