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桜の花の下には

桜の花って、「死体が埋まっている」だの「人を狂わせる」だの散々なことを言われてる割に、花見で宴会とかするの不思議だよね。
陰陽道でも、桜は「陰」の側とされるから宴会の陽と対になる、って解釈されるらしい。

花見が庶民にまで広がったのは江戸時代以降だというけど、それ以前はこれ、いわゆる呪術の一形態だった、というんだな。
散りゆく花の元で酒を飲み騒ぎ、理性を薄めることによって散る桜の側、彼岸へとアクセスし、超常的な感覚を得る。

これってつまり、西洋で言えば「サバト」にあたる。実際、平安時代ごろは薬物も使われていたのではないか、と言われてる。当時の花を歌った和歌などに登場する単語に、どうやらそう解釈できるものがあるというんだな。

西洋ではキリスト教による異端の弾圧、魔女裁判の時代があってこそ、サバトは「悪いもの」とされ淘汰されてきたけど、日本では花見と姿を変えて庶民の文化として根付いてきた。

会社や家族などのコミュニティにおあて、花見という儀式を経てお互いの繋がりを「呪(しゅ)」として確立させる。そういう呪術としての役割は、現代でも生きているのかもしれない。

まぁ、当然これぜんぶ嘘なんだけどね。

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