無限と有限と大人の都合と子供の超能力の話。
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「アキレスと亀」っていう有名なパラドックスがありますね。
俊足のアキレスが鈍足の亀に、差を半分ずつ詰めていくと、半分の半分のそのまた半分…と縮まりはすれど永遠に追いつくことはない、ってやつね。
これに対する回答は、「有限の距離を計算するのに、小数点以下の桁数を無限にしていることによる矛盾」、というものだそうで。
例えば円周率。
あれは「3.1415926535…」という、小数点以下が無限に続く無理数=「この世には存在しない数字」だったりする。
ところが、現実世界の円っていうのは、この円周率に則って存在している。要するにここからそもそも矛盾があるわけなのだけど。
で、これに対する答えがどういうことかというと、実はこの世には完璧な真円ってのは存在しない、ということになる。
円周率=「3.14っくらい」と仮定して、完全ではないけどそれに近い真円をつくることしかできないんですね。
3.14の桁数をより緻密にして、より真円に近づけることはできても、完全になることはない。
もっと単純に、「1+1=2」と言った時にも、それは認識の解像度をあげていくと、実は「1.000000002+0.99999875=1.999998752」なのかもしれないわけですよ。
ただ、人間が認識できる誤差には限りがあるので、それ以下の誤差は無いのと同じことにして、「1+1=2」と言ってるだけなわけ。
これこそが、アキレスと亀のパラドクスに対する回答。
なんか大人の都合みたいだけどw
友人
「つまり、生きるということは全て矛盾の上に成り立っているということ。死んだら矛盾の無い世界に行くのではないかと思っている。πが無理数なのは自然の摂理であって、どんなスーパーコンピューターでもキリを突き止めることなどできない。キリを突き止める、即ち真円を見るのはあの世に行ってから」
てりー
「数学ってのはそもそも、現実世界に適用できないことがすごく多い。死んだら矛盾のない世界に行くってより、無限の次元から存在を限定することによって、命、および現世が在るんだと解釈してる」
いみじくも「大人の都合」という表現をしたけども、自然の摂理の中から人間の子供が産まれ、成長するにつれ、人間の世界を認識していくっていうのはつまり、無限の宇宙の中から有限なる時空の中にその認識力を限定していく、っていうことなのかもしれない。
閑話休題。
ちょっとオカルトに興味がある人なら、子供だけが持つ超能力、みたいなことを耳にしたことのある人は多いんじゃないだろうか。
例えば、大人には見えない幽霊を、その家の子供だけが認識して会話をしていたり。
予知夢とか透視とか、そうとしか呼べないような超常的な能力を当たり前のように使っていて疑問も持たず、でも成長するにつれて忘れられ、ふとした時に「あれってなんだったんだろうね」なんて話になったり。
はたまた、子供のころ確かに行ったはずの街に、後で同じルートを辿ってもどこにも存在しなかったり。
先の話題に則るのなら、子供の間は、大人がもう認識していない小数点第何十位かくらいの認識において、幽霊をみたり異世界をみたり、超能力的な認識を持っていたりするんじゃないだろうか。
原子構造っていうのは宇宙とそっくりだって話もある。だとすれば、その中には僕らが棲むのと同じ地球があるのかもしれない。
「無限の認識力」を持つということはつまり、物質の大きさ・時空の距離は無関係になるわけで、であれば例えば原子レベルの宇宙の中に存在する可能性としての並行世界の地球から、さらにその中のひとりを、眼前にいるものとして認識することもあるのではないか。それが幽霊だったり、予知能力だったりといった超常現象として表象しているのかもしれない。
この辺は「主観的精神」とか右脳左脳の機能とかの話で、意外に古くから仮説がある内容でもある。
とはいえ、人間の社会の中で暮らし、文明の中で人間の時空を生きていくためには、「1+1は2ではない」といつまでも言っているわけにはいかない。
実際にはどうであれ、1+1=2であり、円周率は大体3.14くらいであることを前提として、さまざまな物事を進めなければならないのだ。
子供が大人になり、小数点以下を第何桁かで折り返す、その時。
それがつまり、現実に対して「折り合いをつける」ということなのだろうか。
…お後がよろしいようでm(_ _)m
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