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1stアルバム「The Gate Of Grieving Souls」制作記 その1.動機と作曲

 めちゃくちゃお久しぶりです。
 実はDM7WORKSさんという方にバンドロゴを作成していただきました。今上に表示されているのが新しいロゴです。
 最強にかっこよくないですか。

 今日から何回かに分けて1stアルバムの制作にまつわる話をしていこうかなと思います!忘れちゃいそうなので。

なぜアルバムを作ろうと思ったのか

 ギターを始めたくらいから「いつかアルバムを作るんだ」と思っていました。実は新卒で仕事を1年くらいで辞めてしまって暇だった時にチャレンジしたこともあったんですか、自分の中身が全くの空っぽだったため、表現できることが何もなくて頓挫したことがありました。
 まぁ今も別に中身はあまり変わっていないんですが、その時に比べたら自分のことも少しだけ分かるようになり、表現したいことがそれなりに形になるようになりました。
 TERROR BLINDとしてアルバムをそろそろ作りたいなぁと思っていた時、自分の周囲で親しい人が亡くなったり、その一方で新しい命が誕生する場面によく遭遇しました。そして自分の命を燃やして輝く人達を何度か見ることがあり、「俺は今本気で物事に取り組んでいるだろうか」と感じることが多くありました。
 元々小さい頃から死や命についてよく考えることが多かったんですが、そんないきさつもあり、再度深く考えるきっかけになりました。その中で僕が思ったのは、「死はいずれ誰にでも訪れる。その時が来るまであがき続ける中で、どんな人間でも輝く瞬間がある。それを絶やさずに受け継いでいくことが生きることだ」ということです。彼らが懸命に生きた証を忘れないこと、そしてそれを胸に受け継いでいくことが残された人達にできることであり生きるということなのかな、と思いました。
 そんなことを考えながら作っていた曲が2曲目の「Set This Tragedy Ablaze」です。この曲ができた時、あまりのメロディ&アグレッションの凄まじさにテンションがぶち上りまくりました。この曲があればきっと素晴らしいアルバムになる、そう思ってアルバム制作を決意しました。
 のっけからスピリチュアルな話をしていますが、僕は怪しい人ではありません。こういう話すると怪しいやつだと思われそうで嫌なんですが、この話は避けられなかったです。

作曲について

「Set This Tragedy Ablaze」を作ったのが1~2月くらいで、その勢いのまま「Fury Of The Freezing Moon」、「Daylight Dies In Black Clouds」を作ったので、あれ?俺天才?と思いましたが、その後は普通に難渋したのでやはり凡人だったんだとガッカリしました。
 僕は曲作る時は曲の軸となるメインのリフを作ったら後は勢いで仕上げてます。なので曲を作るというより良いリフが降りてくるのを待ってるという言い方が近いかもしれません。あと、行き詰まったら一端中止して別の曲を作りにかかったり、全部嫌になったらドラムの音作ったり、ギターの音作りしたりしてますね。
 本当に嫌になったらギター3日くらい触らない時もあります。久しぶりにギター触った時にめちゃくちゃカッコイイフレーズを急に思いつく現象ありますよね。あれ頼みな時もありますね。
 そんな感じで4月くらいまでかかって、全曲の骨組みを作りました。とはいってもどうしても思いつかない展開とか、少し違和感ある時もそのままにして次の作業に入るようにしてますね。まぁ成長した自分に丸投げするというか・・・ちなみに「Set This Tragedy Ablaze」のサビも最初は全然違うダサいやつだったんですが、イントロのリフかっこいいからどうにかなるだろ!と思ってたらレコーディングの終盤くらいであのパートを急に思いつきました。「In Darkest Flame」も上手く作れなくて放置していたんですが、レコーディングの終盤でキーを変えたりしたりしてみたらトントンと仕上がりました。
 振り返ってみると、作曲は自分の気分のコントロールが大事なんだなと思いますね。自分の感情が向かう方へ解放してあげて下さい。

スケジュールについて

 とりあえずアルバムを作れるだけの曲数はできました。ざっとToDoリストを作りスケジュールを組んでみると、多分年内には発表できるかなと思い、ツイッターで宣言しました。僕のような意思の弱い人間はそのように宣言して逃げ場をなくさないと頑張ることができません。
 この時はアルバムのタイトルも曲名も決めていませんでした。抽象的なイメージはできていたので、作った曲を聴いてたらスルッと落ちてくるだろうと思っていました。
 いつも通り作曲、レコーディング、ミキシング、マスタリングは自分でやるとして、ジャケットのアートワークは依頼しようと決めてました。
 ちなみにこの時まだフライスクリームで歌うのが上手くできなかったので練習を平行してやっていました。最悪ボーカルの仕上がり待ちだなと思っていました、1stアルバムの曲は速すぎるのでグロウルだと発声が追い付かないし、違和感があると思ったので。

 そんなわけで作曲やアルバムのコンセプトを考えていたこの時期は一番楽しかったです。5月からレコーディングを開始しますが、長く続く地獄の始まりでした・・・
 

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