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ファッションと倫理

『燃えるドレスを紡いで』

YUIMA NAKAZATOのデザイナー、中里唯馬氏に密着したドキュメンタリー映画『燃えるドレスを紡いで』が3/16より公開されている。

アントワープ卒のデザイナー中里唯馬氏が"衣類の最終到達点"ケニアに向かい衣類の現実を目の当たりした上でパリコレに挑む、というドキュメンタリーだ。
衣類の墓場については以前から環境汚染や国内産業への影響など問題視されているが、SDGsが謳われて久しい今でも日本であまり問題視されていないように思う。

ファストファッションが台頭した現在、この罪に我々はどう向かい合っていくべきか。

ファストファッションに対する感覚の麻痺

UNIQLO、GU、無印、H&M、ZARA、SHEINなどのファストファッションブランドの製品はもはや持っていない人の方が少ないかもしれない。(新疆綿問題やデザインコピー問題を不快に思っている一部の人間は意図的にクローゼットから排除しているだろうが)

ファストファッションは安く、それなりに服装に気を遣っているように見え、(コピーされたデザインであることなど興味なければ)流行のルックを模倣できる。YouTubeで検索すればインフルエンサーがこぞってファストファッションブランドを紹介しているため取り入れやすく、特に流行の変遷が早いウィメンズファッションでは重宝されている。
だが、"流行が終わった"服たちをファストファッション愛好家たちはどのように処理しているのだろうか。"安くおしゃれを楽しむ"ことで責任感が麻痺していないだろうか。

ラナ・プラザの悲劇を起こしたのは起業か消費者か

2013年4月24日、バングラディシュで世界最大の産業災害と言われるラナ・プラザ崩落事故が発生した。
1000人超の死者と2500人以上の負傷者を出した大惨事は世界に衝撃をもたらし、下請け問題や人権意識の希薄さ、素材調達から縫製までの不透明な経路などファッション界の闇が浮き彫りとなった。

しかし、ラナ・プラザの事故を引き起こしたのは企業だけではない。それを求めた我々も加害者であり、我々の安易な消費活動も自らの加害性に対する想像力の欠如でしかない。
ラナ・プラザ崩落事故から10年経っても企業は安価な服を作り続け、途上国に送られるとさも善行のように行き先のわからない衣類回収ボックスを店舗に置き、最新コレクションをコピーした商品を販売している。消費者である我々もまた、たった10年前の事故など忘れたかのようにファストファッションに狂っている。

どのようにファッションと向き合うべきか

ファストファッションを選択することの加害性に対して言及したが、もはや古着を選択すれば良い話でもハイブランドを選択すれば良い話でもない。服というものに対してそれぞれが向き合い方を考え、選択の責任を負う覚悟をしなければならない。たとえハイブランドの服を大切に着ようと、そこに透明性がなければ根本的な問題解決にはならないのだ。

私は毎シーズンのファッションウィークのコレクション情報を楽しみにしているし、丁寧な縫製や美しいシルエットに心踊る所謂ファッションラバーの1人である。しかし、ファッションを楽しみ愛する気持ちと、ファッションが抱える課題の狭間でどのように向き合うかという答えを出せずにいる。

ファッションレボリューション

ラナ・プラザ崩落事故から、FASHION REVOLUTIONというグローバルキャンペーンが行われている。
毎年4月24日はファッションレボリューションデーとして、"私の服は誰が作ったの?#whomademyclothes"
と考えファッション産業の透明性を高める日となっている。
自分自身、そして好きなブランドにこの問いを投げかけることで、ファッションへの向き合い方が変わるヒントが得られるかもしれない。

また、どこから生まれたのかだけでなく"私の服はどこへ行くの?"という終着点への問いも今後は必要になってくるのではないだろうか。ケニアに押し付けられた衣類のゴミを新たなラナプラザとしないよう、行き先の透明性も今後は問うべきだろう。

ファッションレボリューションは、ファッションレボリューションジャパンとして日本でも活動が行われている。(と言いたいところだが、SNSなども動いておらずwebサイトも重く表示できない、2023年のファッションレボリューションデー以降特に動きが無いように見える)

2024年4月24日、一人ひとりが少しでもファッションに対して向き合う機会があればと思う。

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