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小さな政府、大きな政府、市場経済

アメリカの債務上限問題が市場の懸念要因になった。その背景には小さな政府か大きな政府かの主張の相違がある。学問的には新古典派経済学とケインズ経済学の市場に対する見方の違いがある。現実には市場メカニズムは完全ではなく、「市場の失敗」が存在し、ある程度の政府の介入が必要。政府も万能ではなく、「政府の失敗」が存在。

債務上限問題は政府の役割に関する考え方の違い


アメリカで債務上限問題が再び浮上し、市場の懸念材料になった。今回の結果にかかわらず、アメリカの関連する法律を変更しない限り、債務上限問題は常に市場の懸念材料になる可能性をはらんでいる。
債務上限問題の背景には、小さな政府か大きな政府かの主張の相違が背景にある。行政はなるべく経済分野に関わらない方が望ましいという立場は小さな政府、経済分野での行政の役割を重視する立場の場合は大きな政府を支持している。
前者は新古典派経済学、後者はケインズ経済学と親和性が高い。アメリカでは共和党が小さな政府、民主党が大きな政府を志向している傾向が見られるが、両党とも一枚岩ではなく、また単純に割り切れるものでもない。

小さな政府、大きな政府の主張の根拠


新古典派経済学の基本的発想は、市場経済は優れているから行政はなるべく関与せず、市場の調整に任せるべきだと考え、税金は少なくし、政府支出も少なくする小さな政府を理想とする。一方、ケインズ経済学の基本的発想は、市場は優れているものの完全ではなく、政府による適切な関与が重要であるので、一定程度の政府支出は必要であり、その資金としてある程度の税金はやむを得ず大きな政府が現実的だとする。
さらに北欧などに典型的な高福祉国家等の場合は、政府部門が経済の様々な場面で関与すべきであり、税金が高くても政府は高福祉を提供すべしという発想である。当然ながら大きな政府となる。ついでながらマルクス経済学では、共産主義が実現すれば、政府と市場は対置される主体ではないということになろうか。
なお、上記はあくまで筆者の大雑把な纏めなので、各経済学派の研究をキチンとしている方々からは非難されるかもしれないので、ご関心ある方は各学派の専門家の書籍等にあたって欲しい。
上記の観点とは別に、新古典派経済学とケインズ経済学の根源的な違いは、市場の調整速度に対する見方の違いであると筆者は考える。新古典派もケインズ学派も市場による需要と供給の調整能力、いわゆる市場原理、市場メカニズムについては評価している。
新古典派は、市場メカニズムによる需給調整が基本的には速やかに行われると考える。市場メカニズムによる調整が速やかに行われない場合には、市場メカニズムの調整機能に支障をもたらす要因が存在すると考え、その要因を取り除くことを推奨する。本稿の文脈からすれば、政府による経済介入は市場メカニズムが機能することへの障害であると考え、なるべく小さな政府が望ましいとの主張に繋がりやすい。
ケインズ学派は、市場メカニズムの需給調整機能は長期的には優れてはいるが、構造的に調整速度が遅い市場が存在すると考える。例えば、株式市場などはすぐに需給が調整され売買が成立するが、労働市場では雇用に対する需給のズレが発生し、失業がなかなか解消しない。そのまま放置しておくと経済社会に歪が生じるので、政府による経済介入が必要であり、結果として大きな政府になると考える。

市場の失敗と政府の失敗


新古典派、ケインズ学派という学派の違いは置いておいて、経済学の観点で、経済活動に政府が介入することが正当化されるのは「市場の失敗」が存在する場合である。
「市場の失敗」としては、①不完全競争(市場での競争が不十分な場合、価格が吊り上げられ、資源配分が非効率的になる)、②情報の非対称性(情報が取引者間で異なる場合、取引が十分に行われず、非効率的になる)、③外部性(個人や企業などの経済主体の行動が市場を経ずに他の経済主体に影響を与える場合、取引が非効率的となる)、④規模の経済性(生産規模の拡大により費用が小さくなる場合、市場では効率的な生産が行われない)、⑤不公平性(市場では、持てる者は富み、持たざる者は貧困に苦しむという不公平性が生じる)、などが挙げられる。
「市場の失敗」を緩和するために政府が市場経済に介入を実施する。当然ながら、政府自体は万能ではなく、「政府の失敗」が発生し得る。「政府の失敗」としては、①配分の非効率性(政治の関与により、社会的に見ると非効率的な事業が開始・継続される)、②配分の不公平性(政治の関与により、特定集団に利益が与えられるような事業が行われる)、③経営の非効率性(政府による補助や救済を期待した非効率的な経営が行われる)、などが挙げられる。
なお、上記は経済学の観点からの話である。政治的(含む軍事的)あるいは宗教的観点等の国策により、政府が経済活動に介入することはしばしば起こる。いわゆる高福祉国家は、経済学の観点としての「市場の失敗」とは別次元の判断基準も重視していると考えられる。市場メカニズムは、経済的価値最大化を実現するための効率的な資源配分には威力を発揮するが、人間の幸福感や安心感を保証するものではない。

主張の如何にかかわらず、政府の経済活動は必要

(1)近代国家、近代産業は、行政機能無しでは成り立たない

近代国家は一定規模の行政機構が無ければ運営していけない。近代産業は一定規模の経済インフラが無ければ活動できない。
電気、通信などは今でこそ民間事業者が大規模に実施しているが、事業開始初期は小規模であり、官民が連携して規模拡大を実現してきた。運輸事業も官民ともに活動しているが、道路、鉄道、港湾、空港などのインフラの全国的な整備は、やはり行政が主体となって実施してきた。ある程度整備した後のインフラ運営については、民間に任せる方向になっているのがPPP/PFIなどである(「PPP/PFI(官民連携)の積極活用へ」(2023年3月24日)参照)。治山治水関係のインフラ整備・維持、国防・治安維持に関する組織の設置・運営等は行政が主体である。治山治水や国防・治安維持は安定的な経済活動を実施するための大前提であり、社会経済の最重要インフラとも言える。

(2)経済活動における政府の存在感

国際比較可能なOECDの国民経済計算統計を見ると、リーマン・ショック対応を実施した2009年、新型コロナウイルス対策を実施した2020年は、図示した各国ともGDPに占める政府の規模が前年より拡大している。
2010年以降は、アメリカとイギリスは年々政府の規模を縮小させており、特にアメリカは2010年代後半に対GDP比では1998~2000年ごろの水準となっている。他の国は2009年の水準から横ばいか拡大となっており、特にノルウェーは規模が拡大している。高福祉国家と言われるスウェーデンは、2020年以外の図示した期間を通して他国よりも政府の規模が大きい。高福祉国家とみなされているフィンランド、ノルウェーも日独英米よりは高いが、図示した期間の前半ではフランスの方の規模が大きかった。考えてみれば、フランスも政府による福祉が手厚い国である。
政府の規模がGDP比2割を切るアメリカは小さな政府志向、3割近い水準を継続しているスウェーデンは大きな政府志向の国であり、他の諸国はその間にあるというイメージがデータでも表れている。
なお、本稿では支出面から見たGDPのうち「一般政府支出」「公的固定資本形成」の合計を政府の規模としたが、政府の規模の測り方は様々な指標が考えられる。

図:主要国の経済活動における政府の規模

出所:OECD「国民経済計算統計データベース」(2023年5月19日ダウンロード)より筆者作成(図の注を文末に記載)。

政府の規模は、国民の志向次第


前述してきたように、近代国家、近代産業を持続させていくためには行政機能は欠かせない。ただし、経済活動における政府の存在感は、各国の経済構造や経済政策、もっと言えば政府と経済の在り方に対する国民の志向によって決まってくる。
アメリカは個人個人が自立するのが望ましいという建国以来の伝統が息づいていると思われ、今後も債務上限問題が浮上することとなろう。


図の注
注1:凡例の並びはOECDのデータベースの並び順(国名のアルファベット順)。
注2:政府の規模は「一般政府支出」「公的固定資本形成」の合計。
注3:ダウンロード時点で、フィンランド、ドイツ以外は2022年の数値は入手できていない。


20230523 執筆 主席アナリスト 中里幸聖


前回レポート:
ドローン、AIは組み合わせることにより新たな地平を拓く」(2023年5月12日)



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