在るものすべての全景画

難しい本を少しずつ読んでいる。
ケン・ウィルバーのインテグラル理論を体験すると言う題名で、先日受講した心理学のワークショップで参考図書として紹介された。

受講したのは上野大照さんの"美しき人生を創造するSpecial workshop2024"
少しネタバレを許されるなら、瞑想を通して自分を俯瞰し、最近発見された二つ目の副交感神経をどう活用していくのかを理論と実体験を交えながら学ぶことができる濃すぎる2日間だった。

WSが終わり数日経つが、夜にお風呂で冒頭の本を読んでいるとふいに大照さんの言葉が蘇ってきた。

「わたしたちは自分自身を白い紙に描かれたひとつの点のように感じてますが、実は点ではなく白い余白が自分なんです。もう少し踏み込むなら、自分以外の点も含めた紙の全てが自分だと言えます」
「これを"在るものすべての全景画"と言い表すことがあります」

話を聞いた時は言葉の意味を追っただけだったが、湯船に浸かりぼんやりと天井を眺めていると、この湯気が、お湯がわたしなのかもしれないという錯覚に陥った。お酒を飲んでいたからかもしれない。身体の輪郭がぼやけていて、心がどこかふわふわしている。心のふわふわと立ち上がる湯気が重なって「ぼんやりと天井を眺める自分」と「湯船でふわふわした感じが危ないと感じてる自分」が分離している。自分が推し損ねて重複した判子になった気分で、訳もなく笑いが込み上げてきた。顔がニヤける。お酒を飲んで風呂に入ると危ないって本当なんだなと思ったらまた笑えてくる。慌てて湯船から身体を起こし風呂を出た。

モルフォジェネシスだっけ?
ベッドで布団に潜り込んだところで、WSで知った横文字が頭を掠める。隣では猫が旦那氏の腕枕で寝ている。ケン・ウィルバーの本ではまだ出てきていない単語だ。明日起きたらWSのテキストを開いてみようと思いながら、先に寝ていた旦那氏と猫の温もりに包み込まれて目を閉じた。

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