女なんてクソ喰らえ

昨日は旦那氏とママ友と友人の子どもの誕生日だった。
友人にママになって◯年やでー
よーがんばったなーとメッセージを送り、母業なんてクソ喰らえと思ってるけどと付け加える。
本当に母業なんてクソ喰らえだ。

はじめて産婦人科を受診したのは10代の頃。うっかり妊娠してしまったので、相手にお金をもらいひとりで下ろしに行った。病院の待合はピンクの長椅子まで暗く見えた。はじめての診察はただただ怖かった。下着を取り、足を掛けて座るとベッドが倒れ、お尻の座面が外れる。陰部が見やすいようにベッドが高く上がると、目の前でカーテンが引かれ、カチャカチャと金属音が聞こえた。恐怖と共にゾッとするほど冷たい金属が身体の中に入ってきた。
2度目の受診で堕胎手術を受けた。前回とは違う診察ベッドに寝かされた。横には見慣れない器具が何種類も見える。足をベルトで固定し、腕に麻酔を打つ。10秒数える間に意識が途切れた。目が覚めると痛み止めをもらい、ひとりで電車に乗り家に帰った。

10年以上経ち長女を妊娠した時は違う産婦人科に通った。古くて暖かな雰囲気の病院はいつも妊婦さんでいっぱいだった。ぶっきらぼうな話し方の先生はいつも忙しそうで嫌な感じはなかったが、診察台に乗り強制的に股を開かれ覗かれるのは、わたしを屈辱的な気分にさせた。目の前のカーテンから目を背けて拳を握り、歯を食いしばって診察が終わるのを待った。力を抜いてと何度も注意される。
妊娠よりも診察が不快だった。望んだタイミングではなかったものの、妊娠は自分の行為の結果として受け入れなければないないものだった。なにより生まれてくる命に罪はない。

検診も出産の回数を重ねるごとに不快感は減った。今でも年に一度がん検診のために産婦人科へ通う。診察の不快感は変わらないが以前のように拳を握り歯を食いしばるほどではなくなった。最初の妊娠から30年近く経ってやっと慣れたという事なのかもしれない。

長女の妊娠と同時に諦めないといけないものが沢山あった。仕事、合気道、バイク、お酒、タバコ。わたしの人生の構成要素のほとんどを取り上げられ、病院は屈辱的で、現実をうまく受け止めることも気持ちの整理もできず、全ては自分が女だからこんな目に遭うんだと思い、お前のせいだと怒りの矛先を旦那氏に向けた。

この話は今まで何度もひつこいくらいブログに書いてきた。旦那氏とも何度も話をしてきたが、書きながらまだまだ収まらない気持ちがあることに気がつく。今まで旦那氏のせいにしてきたが、これらは女だからという思いが引き起こしているとしたら、わたしの中で「女だからこんな目に遭う」という前提は根深そうだ。母業なんてクソ喰らえもそこからきているのかもしれない。

今日も子育てなんてクソ喰らえと思いながら床に落ちた片方だけの靴下を何足も拾い、ため息を吐きながら7人分の洗濯物を畳む。
そして夜には末っ子を抱きしめながら温かな布団で眠り、朝には旦那氏と猫に挟まれた幸せな温もりを感じるのだ。

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