2024.2.6 働かざるもの食うべからず

 夜寝る前に子供部屋のドアをそっと開ける。寝息の聞こえるベッドの脇に立ち、肩まで布団を引っ張り上げる。シングルベッドで眠る次男の足元で三男四男が次男の頭に足を向けて寝ていた。次男の柔らかな頬を触る。いつの間にか子どもたちのベッドをチェックしてから眠るのが日課になっていた。寝息と共に布団が微かに上下に動く。日によるが頬に触れると次男は寝言を言うことが多い。三男は寝返りを打つか、寝ぼけて起き上がることもあった。四男は寝息を立てている。長女と長男はリビングでゲームをしていた。三人を起こさないようにそっとベッドを離れる。隣の部屋の自分のベッドはひどく冷たく感じた。

 時代なのか、わたしが幼かったからなのか、長い間「こうあるもの」という思いが強かった。「女も働くもの」「結婚したら家は買うもの」「結婚したら子どもを生むのが当たり前」母や世間の呪いのような「こうあるもの」という前提を生きることは、頭で理解していたよりも難しかった。4人目の子どもが生まれたとき、仕事も家事も子育てもなにもできなくなってしまい、仕事を辞めた。「こうあるもの」だった人生に白旗を揚げた。それ以来、わたしは全く生産性のない生活を送るようになった。朝起きて子どもたちを保育所に送っていくものの、わたしがしないといけないことは最低限の家事くらいだった。時間ができたのであれこれと興味の赴くままに出かけ、学んだ。気がついたら子どもは5人に増えていて、わたしは占い師になっていた。占い師といっても依頼があればカードをめくり星の話をするくらいの細々としたものだ。収入が不安定になったことで「働く=お金を稼ぐ」ことで人の価値を測っていたことに気が付いた。

 「働かざるもの食うべからず」と話す母の声は今でも頭の中でうるさいが、人の価値は金銭的な価値とは関係ないと少しずつ感じるようになった。今では毎年のように冬には味噌を初夏には梅を仕込む。毎日子どもたちと漬けた味噌で味噌汁を作り、おにぎりには三年物の梅干しを入れる。味噌汁が薄いとか梅干しが酸っぱいと文句を言われても、こんな何気ない毎日が明日も続きますようにと、冷えたベッドで祈りながら目を瞑った。


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