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これからの住宅地を考える「マネジメントされた地域の可能性」その2 最近の新しい住宅地で起きていること

はじめに

これからの住宅地を考える「マネジメントされた地域の可能性」その1では、住宅地における現状について書きましたが、今回は現在に至るまでのここ2、30年の状況を数回に分けて整理してみたいと思います。

これからの住宅地のマネジメントの話に至るまでに、主に2つの話題を掘り起こす必要があるかと思います。それは「マネジメントに関わる建築関連の法制度」と「管理組合等の組織や法制度」についてです。

そこで、戦後の時系列をざっと追っかけながら上記の2つに注目していきたいと思います。

バブルが始めるまでの新規住宅地

1970年代は新興住宅地がたくさんつくられた時代でした。後押しするように優良工場認定制度が施行され、住宅メーカーによるプレハブシェアが10%を超え、また、1973年には新築住宅着工件数が180万件超のピークを迎えました。

一方で翌年には第一次オイルショックがあり、120万戸にまで一時期は落ち込みましたが、その後1979年の第二次オイルショックまで着工件数は増加します。そして、ここでまた一度落ち込んだのち、その後はバブル到来となります。

1980年台までは戦後の住宅不足も解消され、より豊かな生活を求めつつマイホームブームともいえる時期でした。
鉄道会社やデベロッパー、住宅メーカーを中心として多くの土地を開発して宅地化していましたが、一部を除き多くは背割りと呼ばれるような区画数をいかに多くするかという計画でした。

また、この頃の感覚としては土地建物は個人の所有・管理であるという意識でしたので、個(戸)が集まってまちなみになる、つまりまちなみはみんなのもの(公)という考え方は、理屈では語られてもリアリティのあるものとはなっていませんでした。まあ、いまでもプロモーション前はほとんどそうですが・・・(苦笑

ですのでハードである土地建物は個人管理であり、防犯防災・美観清掃(主に公共の生活道路)などは自治会などの地縁組織(自治会等)マター、そこに小学校の学区が絡み通学路管理はPTAマターといった仕分けがされていました。

ゆえに住宅地というエリアのまちなみ保全維持のソフト機能は直接的にはコントロールされていませんでした。もちろん、みながいつも家をきれいにし、生垣や庭の緑のお手入れをし、自分の都合で道路から目につくカーポートなどを作らず、そして道路のゴミを拾い・・・といったことをしていれば結果的にまちなみの劣化は軽減されます。そうであってくれればベストです!

しかし、これはなかなか難易度が高いはなしです。実際、住宅地開発時に道路の景観をよくしようとデザインしても、住み出してからあちこちでカーポートが建てられて植栽の連続していた素敵な道の景色が崩れたり、シンボルツリー的に計画していた樹木が伐採されたりといったことが各所で起きていました。

一方で、住環境をデザインをするだけでなくきちんとルール化をして維持保全を図ろうというアクションも生まれてきました。
それは、建築基準法の制定時(1950年)から法令の中にある「建築協定制度」や、都市緑地保全法(1973年制定)にある「緑地保全地区制度」、「緑化協定制度」などの活用をしていこうという流れより見つけることができます。

「建築協定」は、1970年くらいまではほとんど活用されていませんでした。あまりよく知られていなかったことや、土地所有者等の全員の合意が必要というハードルの高さなどによるのかと思われます。

しかし、これまでの「合意協定」のほかに1976年(昭和51年)の建築基準法の改正によリ「1人協定」と呼ばれている特則(法第76条の3)ができたあたりから活用が進みました。

1人協定とは、住宅地を新規に開発するデベロッパーが、宅地分譲を開始する以前に建築協定を締結し、建築協定つき住宅地として販売できる制度です。土地所有者であるデベロッパー1者のみで協定を締結することができることより「1人協定」と呼ばれています。
なお、1人協定の場合、認可の日から3年以内に2人以上の土地所有者等が存することとなった時から効力が生じます。

この建築協定が定められた区域においては、区域内の住民による「建築協定運営委員会」にて管理運営を行うこととされています。このことは次回以降の記事で改めて触れていきます。

一方で、対象区域が何ヘクタールにもなる大規模な事業の場合は、建築協定で扱うには課題も多いため地区計画制度を活用することが多くあります。

地区計画に関係する法令は都市計画法に定められており、1980年に制定されていますので建築協定よりは最近の法令になります。

建築協定のような知事認可であるとはいえ民法的な規制力であるのに対して、地区計画は都市計画にぶら下がる規制力の強い手段といえます。
この辺りの話はここで話題としている規模より大きい話となるので、また別の機会に紹介したいと思います。

つぎに「緑化協定」ですが、1973年(昭和48年)の都市緑地保全法制定
により緑地保全地区制度と緑化協定制度が創設されました。建築協定と違い、主に緑化に関して規定できる内容です。

単独でセットされるほか、建築協定と抱き合わせるようにセットされている事例がみられました。良好な住環境において緑の存在の必要性が認識されていたということかと思います。

なお、緑化協定はその後の法改正により緑地協定と改称されています。そのほか平成に入ってからの管理協定制度、緑化施設整備計画制度の創設など都市緑地保全法の改正については次回記事にて触れたいと思います。

次の記事に向けて

本記事では、戦後から1980年台までの新規住宅地開発の現状をざっくりと辿ってみました。

住む場所の確保からより豊かさへの流れがまずは住宅1戸1戸で満たされていき、徐々に住宅地というエリアでの価値を生み出していくことになる流れを垣間見ることができました。

次回の記事では、バブルがはじけた後の1990年台を
 ”これからの住宅地を考える「マネジメントされた地域の可能性」その3 1990年台からの住宅地事情と変化” でまとめてみたいと思います。

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