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#762 宿題は自己責任

宿題は強制すべきものでも、出さなければならないものでもない。

学習指導要領に「宿題」の記述はないのである。

ではなぜ、宿題は伝統的に存在するのか?

宿題を出すのは、教師や親が安心したいからである。

教師からしたら、学力向上の埋め合わせのため。

しかし、本来、子どもの学力向上は授業内で完結すべきものである。

教師の指導力不足を補うためには、子どもに残業させるのは理不尽なことである。

また、親からしたら、子どもが家で勉強している姿を見ると安心する。

しかし、その宿題の内容は、本当に子どものためになっているのだろうか?

宿題は、学校での学習で足りなかった内容について、子ども本人が考えて取り組むべきものである。

決して、教師や保護者から強制されるべきものではない。

そもそも強制的に宿題をやらされて、学習習慣など身に付くのだろうか?

答えは否である。

自分で必要感を感じ、計画を立て、実際に取り組み、過程や成果を振り返ることで習慣づいていくのだ。

にもかかわらず、強制してやらせたら、習慣など身に付きようがない。

「ただこなす」ことになってしまう。

「答えを写す」ことに走るようになる。

本末転倒である。

だとしたら、宿題は「個別最適な形」にすべきである。

必要な範囲を、必要な分だけ、必要な方法で、必要な時間、取り組むようにする。

もちろん、授業内で学習を完結し、宿題をする必要のない子どももいるだろう。

このように、子ども一人ひとりに内容と方法と時間を決めさせればいい。

あとは「自己責任」である。

教師は責任を負う必要はない。

学習指導要領に定められていないからだ。

宿題をしなくていい子どもは、しない。

宿題をしなければならないはずなのに、しない子どもは、その子ども自身が悪い。

それが「自己責任」である。

自己責任をとることのできる人間が、学び続けることのできる人間になれる。

しかし、「自己責任で突き放すのは、教師としてどうなのか?」という気持ちもわかる。

なので、教師としてはアドバイスをしたり、相談に乗ったりするようにしたい。

このように、宿題は「個別最適な形」にし、「自己責任」を基本にしたい。

なかなか導入するのは難しいかもしれないが、それが本質であると考える。

いつかチャレンジしたい。

では。


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