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分析的実証手続の再点検【監査ガチ勢向け】

米国PCAOBが分析的実証手続の監査基準改訂を提案。それを参考に、日本で我々が実施している分析的実証手続を点検しましょう。


監査法人で30年強、うち17年をパートナーとして勤めた「てりたま」です。
このnoteを開いていただき、ありがとうございます。

アメリカの上場企業の監査を監督し、監査基準も設定するPCAOB。
2024年6月12日に分析的実証手続を全面的に改訂する公開草案を公表しました。

PCAOB基準の改訂なので、ほとんどの方は直接は関係しません。しかもまだ公開草案です。
ただ、そこに記載されている内容を踏まえて、この機会に日本のわれわれの監査を点検することは有用と思います。



🔆PCAOB基準改訂の背景

PCAOB基準は、すでに存在する分析的実証手続の基準を全面改訂しようとしています。
その背景を少しお話しします。

興味のない方は、飛ばしてください。

PCAOB基準の「近代化」

PCAOBが日本のCPAAOBと違うのは、監査基準も設定しているところです。
いわば、司法と立法を兼ね備えているわけです。

PCAOBが2002年に設立されるまでは、アメリカの監査基準は米国公認会計士協会(AICPA)が設定していました。
上場企業の監査基準を設定する役割がPCAOBに移管されたのですが、設立時点ですべての監査基準を新たに作ることはできません。
そこで、既存の監査基準の大半を暫定基準(interim standards)としてPCAOB基準に取り込むことになりました。

その後、優先順位の高いものからPCAOB独自の基準に置き換えています。
このプロセスを「近代化」(modernization)と呼んでいます。

分析的実証手続の基準も、近代化の一環で改訂されることになりました。

分析的実証手続を実施する環境の変化

公開草案では、二つの環境変化について説明されています。

  • ツールの進化
    ITの発達により、監査人は分析のためのさまざまなツールが使えるようになった

  • クライアントのデータの量や種類の増大
    ERPの普及などにより、クライアントはこれまで以上に大量のデータを生成し保持するようになり、その種類も拡大している

このような説明を読むと、「PCAOBは、革新的な分析的実証手続を提案してくれているのか」と期待が高まります。
しかし、私が公開草案を読んだ限りでは、そんなことはありませんでした。
「アナリティクスだ」「AIだ」と浮ついている監査業界に対して、「環境は変わっているが、基本は変わらないので、しっかりやってくださいよ」とクギを刺そうとしている。そんなふうに私には見えます。


🔆日本の我々が再点検するべきこと

それでは、分析的実証手続のプロセスに沿って、PCAOBの公開草案に触れながら気をつけるべき点を挙げていきます。

❶十分に納得感があり予測可能な関係を識別する
(Identifying a Sufficiently Plausible and Predictable Relationship)

PCAOBの公開草案には、"plausible and predictable"という言葉が再三出てきます。

"plausible"は、「それらしい」「妥当な」といった意味です。
分析に使うモデルのインプットとアウトプットとの関係が、がちがちに証明されていなくてもよいのですが、合理的に見えるのか、が問われています。

かつては「回帰分析のツールを回してみると、よく分からないが高い相関関係を示したのでラッキー」といった分析がありました。
その後、ツールが作成した回帰式の意味の説明が求められるようになりましたが、要は「ちゃんと納得ができる分析なのか」が問われています。

"predictable"は「予測可能か」ということですね。
より高い証拠力が求められる領域に分析的実証手続を適用するのであれば、より高い予測可能性が求められることになります。

PCAOBの公開草案では、店舗の床面積から売上高を予測することは、競合の状況、特定の地域の顧客の好みやその変化が影響するため「予測可能性が高い」と言うには複雑な検討が必要、という例が出ています。
一方で、貸付金と受取利息との関係は、「予測可能性が高い」とするハードルが低い、とも。

日本基準では、監基報520「分析的手続」第4項の次の二つが関係しています。
(1) 特定の分析的実証手続が適切か
(3) 十分な精度があるか

❷ 期待値を算出する
(Developing an Expectation)

❶のモデルによって期待値を算出するわけですが、ここではモデルへのインプットの質が問われています。

クライアントから入手した情報である場合は、企業作成情報(IPE)として正確性・網羅性の検証が必要です。

日本基準では、監基報520第4項の次の項目が関係しています。
(2) データの信頼性の評価

また、PCAOBの公開草案では、特に「検証する対象と同じシステムから出力されるデータを、インプットとして使ってはいけない」と注意しています。
例えば、売上高によって販売手数料を検証するとき、販売手数料が売上高と同じシステムの中で計算されているのであれば、「循環監査」(circular auditing)になるためダメ、と断定しています。

これは個人的には疑問があるところで、売上高が別途検証済みであれば、インプットとして使ってもよいように思います。

❸ 許容できる差異の金額を設定する
(Determining a Threshold for Evaluating Differences)

分析的実証手続を実施すると必ず差異が出ます。
この差異を放っておいてよいのか、追加的な手続が必要なのかを見極めるための金額的基準を設定しておかないといけません。

日本の監基報520第4項の次の項目が関係しています。
(4) 監査上許容できる差異の金額の決定

なお、現行のPCAOB基準では、この金額の設定が明示的には求められていないようですが、実務としては設定され、検査もその前提で実施されていました。
基準の文言上は、PCAOB基準がようやく日本基準、そしてそのもとになっている国際監査基準に追いつくことになります。

❹ 期待値との差異を調査する
(Differences Between the Auditor’s Expectation and the Company’s Amount)

検証対象の金額などと期待値との差異が、❸で設定した金額を超えていれば調査が必要です。

日本の監基報520では、第6項がこれにあたります。

PCAOBの公開草案では、この際に、差異の説明に都合のよい情報ばかりを集めるのではなく、そうでない情報も含めてすべて検討しないといけない、としています。
当たり前なのですが、実務上は悩ましい問題です。
PCAOBはこの対策の一つとして、差異を「確証する」(corroborate)という言葉を使うことをやめています。


🔆公開草案が追加した手続等

PCAOB基準の話なので、日本の大半の監査人には無関係ですが、次の手続は公開草案によって明確に追加になっています。

  • 「納得感あり予測可能性が高いか」を検討する際に、質問だけでは不十分

  • 許容できる差異の金額は、手続実施上の重要性("tolerable misstatement")以下でなければならない

  • 差異の説明を調査する際に、質問だけでは不十分


おわりに

本文中に何度も触れているように、日本基準の監査を行う上ではPCAOB基準は関係ないのですが、それでも皆さんの監査を点検するきっかけになればと思い、取り上げました。

PCAOBの公開草案によると、検査リスクを嫌がって分析的実証手続の適用が減っているそうです。特に、どこまでやれば十分に「納得感あり予測可能か」と判断してよいか、が分からないことが原因。

日本の状況も似ていると思いますが、このままでは監査手続がITの発展から取り残されてしまいます。
リスクが低いエリアを中心に、賢く分析的実証手続を使っていければと思います。


最後までお読みいただき、ありがとうございます。
この投稿へのご意見を下のコメント欄またはX/Twitter(@teritamadozo)でいただけると幸いです。
これからもおつきあいのほど、よろしくお願いいたします。

てりたま

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