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誰でも長い間仕事をしていると、考え方の「軸」のようなものができると思います。私の場合は、次の3つです。

  • シラケた生き方はしたくない

  • 仕事をしないやつと思われたくない

  • 出会った人の幸せを少しでも増やしたい

3つとも、考え抜いて「こうやるぞ!」と決めたものではなく、
過去の行動や判断を振り返って、このあたりが「軸」になっていたな、と思えるものです。

シラケた生き方はしたくない

常に外野にいれば、楽にカッコつけた生き方ができます。
自分の身を問題の外に置くことで、火の粉が飛んでくるのを避けることができます。
そしてその場所から、「あいつ、バカだね」「全然分かってないね」とマウントをとることが可能です。
そんな、離れたところから冷笑するような生き方はイヤでした。

熱い思いがふつふつとわいたときには、まず行動してみる。
すると大反発を受けたり、逆に無反応ですべったりと失敗多数。痛い目にもあいましたが、あとで振り返っても後悔はありません。
むしろ思いがあるのに行動しなかったときの方が、後悔がいつまでも残ります。

仕事をしないやつと思われたくない

仕事の評価は、かけた時間ではなく、達成した成果で測られるべきです。
所定の成果をあげれば、早く切り上げたって問題なし。ましてや、つきあい残業なんてもってのほか。
頭では分かっていても、ほかの人が仕事をしているときに、自分だけ仕事を終えるのは、苦痛でした。
ちなみに、ほかの人は先に終えてもらってまったくOKでした。むしろ、みんな帰って自分だけになったときに、妙な満足感がありました。

これはブラックへの道まっしぐら。果てしない長時間労働。終電帰りから脱しようと早朝出勤してみても、なぜか帰る時間は同じ。
リモートワークが増えても、PCで誰が稼働中か分かるので、早く店じまいすることは気が引けました。
部下に同じ働き方を強要はしなかったですが、上司がいつまでも働いていると、終わりづらくてイヤだったはず。

出会った人の幸せを少しでも増やしたい

縁あって出会った人には、私に会う前と比べて、1mmでも多く幸せになってほしい、ということです。
仕事でいっしょになった人はもちろん、買い物したときの店員さんなど、少しでも接する機会のあったすべての人が対象です。
この気持ちは長く持っていたのですが、「なんだか、きれいごとみたいだな」と自分では思っていました。
でも、最近になって、相手が幸せになるのを見ると私も幸せ、ということに気づきました。結局は自分のためになっていると分かって、かえって納得できました。

現実は、常に「人の幸せを増やすように行動できた」なんてことは全然ありません。イラっとしたり、わがままになって、真逆の発言も数多く。
結局、人を幸せにできたよりも、幸せにしてもらった方がよほど多かったと思います。

この3つを大事にした結果…

「シラケた生き方はしたくない」
「仕事をしないやつと思われたくない」
「出会った人の幸せを少しでも増やしたい」
この3つを軸に生きてどうなったか?

まず、3つとも楽な生き方ではないですね。
シラケた生き方の方が楽、仕事はしない方が楽、人の幸せなんて気にしない方が楽。
でもそれがイヤなんだから仕方がない。

ずいぶんドタバタした30年で、失敗もたくさんありましたが、
後悔はなく、幸せでした。
誰でも、シラケたやつも、仕事をしないやつも、出会った人のことなんて気にしないやつも、助けようという気持ちにはならないでしょう。
どんな局面でも支えてくれる人が現れたのは、いつも熱苦しいが、一生懸命で、自分のこともまともにできないくせに人のことを心配している、と思ってもらえたからだと思います。
これまでお世話になった方々、どうもありがとうございます。

さて、長く勤めた会社を昨日退職し、今日から新しい生活を始めます。
すぐに生き方を変えられるほど器用ではないですが、二つ目の「仕事をしないやつと…」は卒業し、残る二つを大事にしてがんばります。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。
これからおつきあいのほど、よろしくお願いいたします。

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