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これまでの人生とドル円レートを振り返る

結論から言いますと、これから外国為替レートがどうなるかなんて、誰にも分かりませんよ、ということです。


監査法人で30年強、うち17年をパートナーとして勤めた「てりたま」です。
このnoteを開いていただき、ありがとうございます。

私が生まれてから今に至るまで、外国為替レート(ドル円レート)がどう移り変わったかを振り返ります。

【2024年6月20日7:30追記】
小学校入学した年が間違えていましたので、修正しました。maverick nymph(@TDF_UltraGuard)さん、ご指摘どうもありがとうございました🙇‍♂️



💹1967年7月 てりたま生誕 1ドル=360円

私が生まれたのは1967年。
第二次ベビーブームより少し早いのですが、前年が丙午(ひのえうま)で出産が極端に少なかった反動もあり、爆発的に増えた年です。(何それ?と思う方は、調べてみてください)

外国為替は固定相場制が採られ、太平洋戦争後まもない1949年から、長年1ドル360円で固定されていました。
これをお読みいただいている多くの方々にとっては、歴史の授業でしか知らない世界でしょうね。


💹1974年4月 小学校入学 1ドル=280円

地元の公立の小学校に入りました。
設立後7年の新しい小学校でしたが、生徒が多くなりすぎて、3年生になるときにさらに分離されて別の小学校が新設され、同級生と別れ別れになりました。

この数年前に固定相場制の危機が訪れ、固定レートを308円に変更。アメリカのニクソン・ショック(金本位制離脱)がドル不信をあおったことが原因でした。
このレートも維持できなくなり、1973年に変動相場制に移行しました。

一気に円高が進みますが、そんなことは当時のてりたま少年にとっては何の興味もない出来事です。


💹1985年8月~1986年7月 アメリカへ高校留学 1ドル=237円→154円

高校生になり、アメリカ ミシガン州に1年間留学。ここで初めて外国為替レートの変動にさらされることになります。
当時、1万円が50ドル、と計算していたことをよく覚えています

当時は日本車の輸出が絶好調。フォード、GM、クライスラーの本社があるミシガン州では日本車の不買運動が起こり、工場労働者が街角で日本車をボコボコにしたりという物騒な中、ミシガンでの生活をスタートしました。

貿易収支の悪化が深刻になったアメリカの意向により、主要先進国が強調介入。プラザ合意です。
留学した年の秋からすさまじい勢いで円高が進みました。

円高になり、日本に輸入する物が安くなって、みんなさぞ喜んでいるだろうと思っていました。
ところが留学を終えて帰国すると、テレビも新聞も「円高不況」の大合唱。マイナスの面しか報道しないことに、頭の悪い高校生ながら違和感を覚えました。


💹1989年11月 会計士二次試験合格 1ドル=143円

エスカレーター式の高校からそのまま大学に入り、受験して入ってきた同級生との学力の差に愕然とします。
頭の悪いまま社会人になるとヤバいのではないか、とぼんやりとした危機感を感じ、会計士を勉強することに。

会計士試験を受けたのが、ラッキーにも合格率が跳ね上がった1989年(平成元年)。昭和天皇崩御による恩赦だったのでは、とのうわさがありました。

バブル末期で日本中が浮かれていたころ。
円ドルレートの思い出はないのですが(ないんかい💢)、証券会社で買った金融商品(固定金利でしたが、元本保証があったかどうかは分かりません)の金利が7%台で、しかも両手に持ちきれないほどのおまけをもらいました。

💹1995年8月~1999年8月 アメリカ駐在 1ドル=97円→110円

海外、それもアメリカに駐在したいという念願が、いい加減な人選によりかない(本当です)、アメリカのヒューストンに派遣されることになります。

赴任する年の4月に一瞬ですが1ドル79円75銭を記録します。
赴任するときには超円高も落ち着き、100円前後で推移していました。

駐在中に一時147円64銭まで円安になりますが、帰国するときには元の水準に戻ります。
給料はドル建てだったので、あまり気になりませんでした。

当時、「内外価格差」という言葉が日本のニュースでよく使われ、海外と同じものが日本では不当に高いと言われていました。
輸入業者が値段を釣り上げているとか、中間業者が多すぎて非効率になっているとか言われていたころです。
日本の価格が安い、安いと言われる今からは隔世の感があります。


💹2012年1月 入院 1ドル=76円

前年暮れの健康診断で膵臓に影が見つかり、おそらく腫瘍で悪性の可能性もあるのですぐに手術が必要と言われました。
年明けに入院し、すぐに手術。幸い腫瘍ではなく、問題ないことが判明してよかったのですが、膵臓の切った部分がなかなかくっつかずに退院が遅れ、結局3か月、仕事を休むことになりました。

病院のベッドで見ていたテレビで、青森の豪雪と並んでよく流れていたのが超円高。

2007年のアメリカでのサブプライムローン問題が発展し、翌年にリーマンショック。「有事の円買い」が活発になり、失われた30年のまっただ中なのに円高が進行。
2011年の東日本大震災でも円高は止まらず、とうとうその年の10月に1ドル75円32銭を記録しました。


💹2022年10月 監査法人退職 148円

33年勤めた監査法人を円満退職。

超円高は政権が民主党から自民党に代わって「アベノミクス」が打ち出されてから落ち着き、じわじわと円安に転じています。
退職した10月に150円48銭をつけました。2023年1月中に一旦127年22銭の円高となり、また円安に転じて2023年11月中に151円80銭になりました。

円安の原因は、世界でインフレが進み、米欧が政策金利を引き上げたのに日本はマイナス金利を続け(その後撤回しますが、それでもゼロ金利)、内外の金利差が拡大したこと。
もう一つは、日本が純輸出国から輸入国になったことが挙げられています。

以後、各月末のレートは以下のとおりです。
2024年1月末 148円
2024年2月末 150円
2024年3月末 151円
2024年4月末 157円
2024年5月末 157円


参考

ドル円レートは、日本銀行 時系列統計データ 検索サイトよりダウンロードしたデータを使っています。最高値、最安値以外は、月末レートをベースに円未満を四捨五入しています。

また、主要なイベントについては、Wikipedia「円相場」を参考にしました。


おわりに

これを書いて改めて思うのは、想定外のイベントが起こり続けて、外国為替レートが翻弄されていること。長期間の予想なんてできないんでしょうね。

これを読まれた若い方は、「こんなに長い間生きて来たのか、こいつは」と思われたかもしれません。
まだ年寄りではないつもりですが、自分がリアルタイムで経験したことが歴史の教科書に載るようになると、感慨深いものがあります。


最後までお読みいただき、ありがとうございます。
この投稿へのご意見を下のコメント欄またはX/Twitter(@teritamadozo)でいただけると幸いです。
これからもおつきあいのほど、よろしくお願いいたします。

てりたま

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