中島らもさんの言葉 〜パンチの強さがクセになる〜

ちょっと変わった人に心惹かれる
振り切ってる人には心奪われる

おかしなことを言うオッサン
「中島らも」に惹かれるワケ

経歴がおもしろい
中島らも氏は名門進学校である灘中学校へ入学。灘中学校は、東大よりも合格する事が難しいと言われている最難関の学校。
中島らも氏はトップ8位という成績で合格するが、ビリで卒業した経歴は有名なエピソード。その後フーテンと呼ばれる人たちとともにアルコール、有機溶剤、鎮静薬・睡眠薬、大麻に耽溺。

ロックは音楽ジャンルじゃない。
生き方なんだ。

って本人が言うてたけど、
中島らもの生き方は
ロックそのものだろう。

しっかりと血の通った温かさがあって
上辺だけの心地良さではなくて
鋭く情けないような言葉が
心の深い場所をエグる


アル中、ヤク中のおっさんが放つ
恋の名言や美しい言葉の数々も素敵
振り切ってるからこその重み


中島らもさんの言葉を紹介します

恋について

恋は病気の一種だ。治療法はない。
ただしそれは世界中で一番美しい病気だ。
恋におちることは
つまりいつかくる何年の何月かの何日に
自分が世界の半分を引きちぎられる苦痛にたたき込まれるという約束を与えられたことにほかならない。
肝心なのは、想う相手をいつでも腕の中に抱きしめていることだ。ぴたりと寄りそって、完全に同じ瞬間を一緒に生きていくことだ。
二本の腕はそのためにあるのであって、決して遠くからサヨナラの手をふるためにあるのではない。
「自分の将来のことを考えて、この一年は勉強に専念して、恋愛は來年の春まで凍結しときます」みたいなことのできる奴だったら、そいつはずいぶん「いやな奴」だと思う。


人生について

誰の人生も重い。
軽んじていい人生なんてない。
正統ではなく、異端を 
王道ではなく、邪道を
人間にはみな「役割」がある。その役割がすまぬうちは人間は殺しても死なない。逆に役割の終わった人間は不条理のうちに死んでいく。
いまある自分というものは、必然のよってきたる結果なのであって、「なるようにしかならなかった」から「なるようになった」姿なわけです。その必然の帰結である自分の姿に、「失敗」というものさしを持ち込んでも意味のないことです。
暗い気持ちになって、冗談にでも、“今、自殺したら”などと考えているときに、とんでもない知人から電話がかかってくる、あるいは、ふと開いた画集か何かの一葉の絵によって救われるようなことが。それは、その日の天使なのである。
一人の人間の一日には、必ず一人、
「その日の天使」がついている。
人の人生の総重量なるものはとりもなおさず
記憶の重みでもある
厳密に考えるなら 「生きている」の反対概念は 「死」ではなくて「生きていない」 でなければならない。
ええねん。おもしろかったら。
人間の表情の中で一番魅力的なのは、大笑いしている顔です。美醜は別にして、それは「いい表情」なのです。
生きるということは
死ぬまでの時間をどうやり過ごすかということだ。


良い所もダメな所も全て包み込んでくれる、
「中島らも」の言葉がわたしは好きだ。

中島らものエッセイや私小説には、
よくヤク中、アル中、フーテン、
精神異常者、犯罪者など様々な
問題を抱えた人々が登場する。

彼はその人々を「だからなんだというのだ」
というスタンスで愛していた。

彼の人間への愛に溢れる代表作
『バンド・オブ・ザ・ナイト』より、
愛が伝わるフレーズがある

精神分裂病者である
ガド君についての一節
いくつもの夜々を共に過ごすうちに、分裂病者の文法、思考回路などがわかるようになってきた。それはもちろん理路整然とした世界ではなかったけれど、でたら目に混然とした世界でもなかった。

ガド君なりの苦しみのセオリーというものがそこには横たわっているのだった。


作品の節々に表れる人間への
愛と優しさが中島らの魅力のひとつ。


周りを愛していた彼だからこそ、
亡くなってからも
愛され続けるんだろうな


わたしのオススメは
・今夜すべてのバーで
・僕に踏まれた町と僕が踏まれた町
・アマニタパンセリナ
・バンドオブザナイト
・水に似た感情
・ガダラの豚(推理小説)

絞り切れない。
全部オススメなんです。
明るい悩み相談室の話は、
なにひとつ書いてないけど
オモロいっす。

気になった方は、
ぜひ読んでみてください。
損はないと思います。

どれもこれも好きだけど
わたしが気に入っている言葉たち

「訳のわからんもの」ってけっこう強いんである。

僕は土地柄がどうだから楽園だなんて話は信じない。
そこに好きな人たちがいるところ、守るべき人がいてくれるところ、戦う相手がいるところ。それが楽園なのだと思う。
ギリギリまで苦痛に苛まれているとき

人を救うのはユーモアである
ただこうして生きてきてみるとわかるのだが、

めったにはない、
何十年に一回くらいしかないかもしれないが、

「生きていてよかった」と思う夜がある。

一度でもそういうことがあれば、
その思いだけがあれば、
あとはゴミクズみたいな日々であっても
生きていける。
「タイが入ってないのになんでタイ焼なんだ?」といった突っ込みに一番有効な答え方とは、相手の目をじっとみて「お客さん、それが世の中ってものじゃないですか?」と言うのです。


これは、特にお気に入り

「すみませんで済んだらごめんなさいの立場はどうなるんや!」


10代後半から、
中島らもさんの本を読み
影響を受けてきたんでね

なかなかの変態ってことは
よく分かってますw

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