桂歌丸師匠によせて
個人的なおはなしをひとつ。
わたしは、歌丸師匠の落語を生で聴いたことがない。ちょうど落語を聴き始めたころ ― まだ寄席に行く勇気がなくて、ラジオやテレビやCDを通してだけ落語に触れていたころに、あちらに逝ってしまった。
落語とはなんぞや?という頃のわたしにとって、歌丸師匠は笑点における5代目三遊亭圓楽師匠の次の司会者で、声がなんとなくダミっとしたような感じで、いつも他のメンバーに死ネタをかけられる、細いおじいちゃんだった。楽太郎(当時)さんやたい平さんや昇太さんにネタにされては、怒って座布団をとりあげる、ちょっと気難しいおじいちゃんくらいの印象だったかもしれない。
初めて師匠の落語を聴いたのは、たしかレンタルしたCDでだったと思う。父が、歌丸師匠の落語がすごく好きなのだと聞いたからだった。演目は『牡丹灯篭』。声色を変えずにたんっとひとつ枕を打ってお客が笑う、そんな入りが魅力的だった。滔々と語るその口調は仄暗く、まさに『牡丹灯篭』の世界を追体験するような感覚。テレビでみていたあの細いおじいさんと同じ人とはとても思えないような、鋭い迫力があった。声音の上下こそあれ、まんなかに一本棒が入っているような、調子の変わらない声にやけに繊細さを感じて、素敵だと思った。
これはとても個人的な意見として、歌丸師匠は6代目三遊亭圓生師匠に似ているような気がしている。わたしはこの圓生師匠が大好きなのだけれど、ふたりの、女の人を思わせるようなしなやかで色っぽい雰囲気(実際女の人を演るときには本当に艶っぽい)は身体の線の細さからくるのか。それにハイカラなところもどことなく似ている。でもこれはすごく不思議なことだ。というのも圓生師匠は日常生活の中でも江戸ことばを使っていたという。対してハマッ子の歌丸師匠は、江戸ことばが出てくるネタをなるべく避けていたと聞いたことがある。真逆である。「商売道具」の声や言葉、そこに対する姿勢がまったく違う。似ているはずがないのに、似ているなあとずっと思っている。歌丸師匠のことを考えるときに、わたしの中には必ず一緒に圓生師匠も浮かんでくる。見た目に引っ張られすぎなのかもしれない。
『牡丹灯篭』で啖呵を切るときに出る歌丸師匠の貴重な江戸ことばは、啖呵に使う表現ではないかもしれないけれどすごく「丁寧」だと思う。丁寧で迫力のある啖呵。ずっと談志師匠の啖呵ばかりを聴いてきたわたしにとって、初めて聴いたときのそれは衝撃だった。新しい落語の魅力をまた知ってしまったと感じたのをよく覚えている。
『牡丹灯篭』から始まって、その他にも色々な噺を聴いた。師匠の本もたくさん読んだ。知れば知るほど、そして今寄席に行けば行くほど、どうして生で聴いておかなかったのかと後悔が募った。それはいまでも募り続けている。
…タイトルの大業さからは信じられないほど個人的な小さい話になってしまった。歌丸師匠の命日。今晩は、久々に歌丸師匠の牡丹灯篭を聴きながら眠ろうと思う。