長屋の花見

今日、東京は雪が降った。3月も終わるころに雪とは。もう桜は咲いているから、雪と桜の景色はさぞきれいだろうと思う。

桜といえばお花見、お花見といえば桜。今年はどこもお花見は自粛だろうけれど、せめて見たつもりになろう。今回は落語にある花見の噺のひとつ、『長屋の花見』のお話。

▶ざっくりあらすじ
貧乏長屋の面々に、大家さんからお呼び出しがかかる。店賃の催促かと遠くから伺うと、どうやら違うらしい。なら安心と近くへ寄って話を聞くと、大家さん、みんなで上野の山で花見でも催そうと言う。大家さんの奢りで酒も魚もあるときたから長屋の面々は大喜び。いい大家さんだなあなんてお礼を言うと、あとで文句言われちゃきまりが悪いからとここでネタばらし。一升瓶が3本と言ったが中身はお酒じゃなくてお茶け。お酒盛りじゃなくてお茶か盛りときた。かまぼことたまごやきは本物かと聞くと、大根の薄切りと沢庵だと言う。がっかりしながらも乗り掛かった舟だヤケクソだといざ花見に出発。花見だ花見だと大家さんが掛け声をかけると、長屋の面々は夜逃げだ夜逃げだと返す、そんな珍道中。さてこの辺りでいいかと腰を下ろしていざ宴会が始まる。みんなでお茶けを注ぎあって、いやいや飲む。飲まない店子に声をかけると、「下戸だもんで」と言う。そんならたまごやきを食べたらどうだと勧めると「この頃歯が悪くなっちまったもんで」。宴がすすんでも当然ながら誰も酔わないのが気になる大家さん、月番の者に酔ったふりをするようにと伝える。仕方ないと酔ったふりをする月番に、「吟味した灘の生一本はどうだ」と聞くと「宇治かと思った」と返ってくる。ふと湯呑の中を覗き込んで「大家さん、近々長屋にいいことがありますよ」と言われて「どうしてだい」と尋ねると、「ごらんなさい、酒柱が立っている」。

― 五代目 柳家小さん「長屋の花見」より


▷個人的メモ
わたしは落語の世界の大家さんが好きだ。ちょっと口は悪いけれど、面倒見がいい。店賃を払わない店子に文句を言いながらも、「大家といえば親も同然、店子といえば子も同然」となんだかんだで世話をしてくれる。おはなしの源流である上方では『貧乏花見』(※)と呼ばれるこの噺の大家さんの取り仕切るお花見は確かに、それはそれは貧しいものだ。でも、『だくだく』よろしく「つもり」になって花見を楽しもうとする 粋 と、その底にある人間らしい 見栄 の両方が、陽気な花見の様子と相まっておかしく感じられる。

この噺は、大家さんと長屋の面々のかけあいでもって進んでいく。長屋連中は文句ばっかりだけれど、まあまあとなだめる大家さんもただただいい人なのではなくてどこか見栄っ張りで、どちらも人間らしくて魅力的。大家さんが「あんな長屋貸しといて、満足に店賃とろうなんて思っちゃいねえ」と言うと、店子「ええ、そりゃそうですよ。あっしらだって満足に店賃払おうなんて了見の奴はひとりもいねえんで安心してください」。長屋の戸を売ったという店子に「泥棒がはいったらどうする」と聞くと、「泥棒なんか入るわけない、こっちから出る」。ああいえばこう言うような、子どもみたいな大人のやりとり。長屋連中、本当に口がたつから可笑しい。

なにか教訓めいたものがあるわけでもなく、日常を切り取ったようなネタ。ある時代に生きている人たちの、とある春の一日をのぞかせてもらっているような、そんな気になる。



噺の内容は上方と東京とでだいぶ変わる。あらすじに書いたのは東京の「長屋の花見」。上方の「貧乏花見」では、貧乏な長屋連中が花見に来たはいいものの、周りの人たちとの格差が嫌になり、2人喧嘩をはじめて周りの注意をひいているすきにお酒やら食べ物やらをいただいちゃおうと画策する。いざ喧嘩のふりをはじめるとこれが本当の喧嘩に発展してしまって、驚いた周りのひとは逃げ出してまあ結果はよしとなる。酒だごはんだとやっているところへ周りの人たち戻ってくる。幇間が酒樽をもって怒鳴り込みにいくものの、酔っぱらった長屋連中は威勢がいい。「その酒樽はなんや!」「へい、酒のおかわりをもってきました」でサゲ。なんとなくこちらのほうが、より陽気で明るい春の雰囲気があるように感じる。こちらも好き。