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寺嫁お京のお仕事〜供養ってあの供養じゃなかったの?!て話〜

こんにちわ、寺嫁お京です。
今回は、御門徒ごもんとさんにいただく供養米くようまいの意味とその後をお伝えします。

自坊では、春季彼岸会と秋季彼岸会の年2回、
御門徒さんから「永代経供養米えいたいきょうくようまい」をいただき、阿弥陀様にお供えいたします。

寺嫁お京、浄土真宗の教えを少しずつ知ってきた今、この字面を見て疑問に思いました。以下、住職とのやり取りです。

私 「浄土真宗って、供養って教えがないのになんで供養米なの?」
住職「あなたが言ってるのは追善供養ついぜんくようのことでしょ?」
私 「ん?ついつい・・・???????ん?何それ。」

と、トンチンカンな疑問から始まり、住職に一つひとつ説明してもらいました。

追善供養ついぜんくようとは


残された人たちが、「亡くなった人が死んだ後に苦しまずに、安らかに過ごせますように」と、亡き人に代わって徳を積むため、お経をあげたりして供養することを言います。
浄土真宗では、この追善供養を行ないません。

なぜなら、
“煩悩まみれの私たちが、亡くなった人の代わりに徳を積むなんて難しいよね。でも、大丈夫、そんな私たちを阿弥陀様が必ずお浄土に導いてくれるから。”
という教えだからです。

供養くようとは


そんな自分の徳さえ積めない私を救ってくださるなんて、仏様ありがとうございます。せめて、お礼だけでもさせてください!
という意味で、浄土真宗における「供養」とは、“仏様への感謝”を表す「讃嘆供養さんたんくよう」のことなのです。
お米や果物をお供えし、お仏飯をあげ、おあかりを灯すこと、お経を読むこと、そして何より毎日称えるお念仏こそが浄土真宗における供養の形なのです。

寺嫁お京が今まで認識していた「供養」は、追善供養のことだったのですね。
今は、40数年間染み付いた「供養」へのイメージを上書きしているところです。

永代経供養えいたいきょうくようとは


「永く仏教が後世にも残るように、供養すること」です。

寺嫁お京は、この永代経って、そういう旨が記載されているお経の名前だと思っていました。
永代経えいたいきょうの法要は、自坊では春季彼岸会と秋季彼岸会に併せて年2回行っています。

なので、自坊で納めさせていただいてる
「永代経供養米」の意味は
「永く仏教が残りますようにという思いから阿弥陀様にお供えさせていただくお米」
ということになります。

この供養米は、毎日の阿弥陀様あみださまへお供えする「お仏飯」になり、各法要時に御斎の中のちらし寿司やお赤飯になり、阿弥陀様のお下がりとしていただきます。

まとめ

というわけで、浄土真宗における「供養」の意味を知ることができました。
皆様におかれましては、ご自身の菩提寺ぼだいじの宗派を知り、その宗派の供養の意味を知ると、より一層その行為に意味が出てくるかもしれません。

知識が浅く、点でしか皆様にお伝えできないのですが、一般の人と同じ感覚を持った人がお寺にいると思って、心の支えに?していただければと思います。そして、お寺さんになんでも聞いてくださいませ。
今後も、一つずつ学んで線で繋がったことをお伝えできるよう精進いたしますので、お付き合いいただけると嬉しいです。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。


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