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「おかげさまで」を本気で言ったあの日

【この記事では、不妊治療や出産や子どものことについて書いています。】

こんにちは、寺嫁お京です。

これまで感覚的に、なんとなくこういう場面でつかうんだろうなぁ〜と気にも止めず使っていた言葉。

「おかげさまで」

「おかげさまで元気になりました。」
「おかげさまで無事に着きました。」
「おかげさまで大きくなりました。」

「ありがとうございます」と同じくらい、お相手の存在や行為に感謝する効力を持つ言葉にも関わらず、それを本気で使い始めたのは娘を出産した時だ。

出産予定日を10日ほど超過したため誘発をかけて経膣分娩に望んだ。
が、10時間ほど経てども子宮口はなかなか拡がりきらない、
児頭の向きが逆などの対処のために
途中、無痛分娩に切り替えて引き続き経膣分娩を試みた。

が、程なくしてお腹の中の娘の方が心拍が落ちる事態に陥り緊急帝王切開に移行した。
慌ただしく医師、看護師が動きだす中、私にできることは娘が苦しくならないように陣痛がきても呼吸を止めず、たくさん酸素を送ることだけだった。
早朝からついていてくれた助産師さんの

「もうすぐ会えるからねー」

という言葉にどれだけ救われたか。

娘は無事に出産。
私は娘の泣き声を聞けた安心感と達成感とアドレナリンやオキシトシンやらの作用でか、気持ちがかなり高揚していた。
今思えば恥ずかしいくらいなのだが、
夫からの情報によると(いや、しっかり覚えてるのだが)

「おかげさまでございますーーー!!!」

と泣きながら叫んで?いたらしいのだ。
(なかったことにしたいくらい心底恥ずかしい…)


私の羞恥心はさておき………

娘は不妊治療を経ての待望の子どもだった。
娘の泣き声を聞いて安堵した瞬間、
これまでのことがまざまざと思い起こされた。

タイミング法でも人工授精でもできず、体外受精に挑戦。
激痛だった採卵、涙を拭いてくれた看護師さん、いつも優しい声かけで診察してくれた先生、モニターで見せてもらう受精卵の恍惚とした美しさ、その受精卵を大事に育てて待ってくれていた胚培養士さん、応援してくれていた友達や職場の仲間、励まし合った不妊仲間、子どもの話題に触れずにいてくれた両親と義両親、陰性や流産のたびに落ち込む私をずっとそばで支えてともにいてくれた夫…
これまで関わってくれた方のことが一気に押し寄せ、
その言葉が自然と出たのだ。

【御蔭】

神仏の助け。加護。また、人から受けた恩恵・力添え。

広辞苑

語源は
木があればその下に陰ができ、雨や日差しを避けることができる。
見えない力のご加護を受けることができる
という仏教用語からきたもの。

娘の命は、ご先祖さまから脈々と受け継がれてきた命、
関わってくださった方々の力添え、
今日の不妊治療が確立していく過程での多くの命、
あまねく世界に広がる切れることのない繋がり
そういう恩恵のもとに在らせていただいている命だと思います。
私自身の命も。


娘を妊娠する前、思うように結果(子どもができるという結果。)が伴わないことを
夫に「できるのも縁、できないのも縁」の一言で片付けられた(気がした)ときには、心底腹が立った。
(何が縁だ!そしたら、私の頑張りはなんなんだ!不妊の原因には医学的根拠があるんだ!)と。
よく知らない「縁」という言葉への反発心から、縁ってなんだよ、ばっきゃろう!精神を常に持ったままで仏法を聞くようになったことが縁で、娘を出産するまでに「おかげさま」を本気で言えるくらい仏法に育てられていたようなのだ。(ちなみに、浄土真宗では「お育ていただく」という言葉をよく使う。)

全ての感覚器を通して感じる娘の存在を経験し
第二子を望みまた治療中である今。
繰り返す陰性や流産に
命という存在は治療をしても必ず出来るとも限らず、
医療や科学や自分の頑張りを超えたところでの
“この世に授かる命” “この世では捉えられない命”
であり、その境い目でさえも不明瞭なものというこれまで感じたことのない不思議な感覚を覚えてきているのだ。

それでも結果を求めて治療を選んでいるということは、子どもができる縁を望んでいるということ。
しかしそう思い通りにもいかないことが命の繋がり。
年齢の限界、精神の限界、経済的な限界が目の前に迫る今、解放されたい、解放されたらどんなに楽か…と思いながら選ぶ治療。

今後、できない縁に出逢うことがあっても、各種ホルモンに頼ることなく、これまでのことに
「おかげさまでございます。」と(叫ばず)伝えられる心持ちになっていられたらなぁと思う。

最後までお読みくださり、ありがとうございます。

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